(2004.06.10)

1ページ目 【第40代アメリカ大統領ロナルド=レーガンとは】
2ページ目 【冷戦の早期終結はレーガン大統領の功績か】
3ページ目 【今なおアメリカに強く残るレーガン大統領の正負の遺産】

【第40代アメリカ大統領ロナルド=レーガンとは】

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6月5日死去した第40代アメリカ大統領ロナルド=レーガン氏。彼の政治が今日に残したものとはなにか、簡単に解説してみたいと思います。

アナウンサー、俳優から大統領へ


まず、「レーガンってだれ」という人ももはや多いと思うので、彼の足跡を見て行きましょう。1911年、イリノイ州生まれ。ラジオアナウンサーを経て俳優になります。以後、ハリウッドでしばらく活躍します。

彼が活躍をはじめた1930年代、当時はフランクリン=ルーズベルト大統領のもとで社会主義的ともいえるニューディール政策が実施されていました。強力な累進課税のもと、スターの座にのしあがったレ-ガン氏に課せられた税率は実に95%。

これに憤慨した彼は、徐々に政治の世界へと目を向けるようになります。

1966年、政界に転身しカリフォルニア州知事に当選。以後14年にわたって州知事をつとめた彼は、1980年、共和党から大統領選に出て民主党の現職カーター大統領(当時)を破って大統領に当選。史上最高齢(69歳)での大統領就任でした。

以後、「レーガノミックス」とよばれる減税政策中心の経済政策を行う一方、「強いアメリカ」の再興をめざし強硬な外交政策を実施。1984年大統領に再選され、2期8年の任期を全うしたのでした。

個人的人気が高かったレーガン大統領


レーガン政権は、彼の個人的な人気に支えられていた面がかなり強かったといえます。

史上最高齢の大統領でしたが、元ハリウッド俳優としての風貌、元アナウンサーとしての声質、このようなものをフルに利用して「アメリカのお父さん(おじいさん?)」的なイメージを国民に植え付けます。

なにせ、レーガン政権の支持率よりも、レーガン大統領個人への支持が抜けて高かった。これが、彼の個人的人気を物語っています。

もちろん、彼の風貌だけがそうさせたわけではありません。大統領の読む演説原稿、こんなものはたいてい誰かが作っているわけですが、レーガン氏はかならず事前に目を通し、自ら分かりやすい言葉に直して行きました。俳優、アナウンサーとしての才能を発揮し、「わかりやすい政治」を目指したわけです。

就任そうそう、銃撃事件に巻き込まれたことも彼への人気を生みました。彼は高齢にもかかわらず、不死鳥のようによみがえります。ナンシー夫人に「よけそこなっちゃたよ」なんて気丈なコメントをしながら。これも、彼の「強い」人物像に影響を与えた事件でした。

ですから、政権後期にイラン・コントラゲートといわれるスキャンダルが発覚するわけですが、さしてレーガンの名声に傷をつけることなく、彼は惜しまれつつ勇退を果たしたわけです。

レーガン元大統領の功績とは


そんなレーガン元大統領の世界に与えた功績とは何でしょう。次ページで、詳しく解説して行きましょう。