2ページ目 【州の「連合」として生まれたアメリカ】
【州の「連合」として生まれたアメリカ】
アメリカは州の独立のあと「つくられた」
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アメリカ東海岸に作られた13の植民地。これが州のルーツです。これら13の植民地は、それぞれが独立し、議会など独自の自治組織を持っていました。
この13植民地に、イギリス本国が戦争(フレンチ・インディアン戦争、北米の領有権をフランスと争ったもの)の戦費を調達するため課税を強化しようとしたため、13植民地は一斉に反発します。イギリス本国への対応を決めるため、1774年、はじめて植民地の代表が集まって会議を開きます(大陸会議)。そして全イギリス商品の「不輸入、不輸出、不消費」を決めた大陸通商断絶同盟を結成します。
1775年には第2回大陸会議が開かれ、後の初代大統領となるワシントンを総司令官とする「アメリカ『連合軍』」がつくられます。そして1776年、「13植民地の全会一致の宣言」として独立宣言が発表されたのでした。
しかし、これはあくまで13の植民地がまとまって独立を宣言したもので、「アメリカ建国宣言」ではありませんでした。1881年、13州の間に「連合規約」がつくられ、いちおう連邦政府が置かれることになりましたが、「各州が主権を持つ」とはっきり規定され、連邦政府には課税権すら与えられなかったのです。
このことはたいへんな不都合をもたらしました。ワシントンは少ない戦費(連邦政府には課税権がないため、戦費は州の自主的な拠出によってまかなうしかなかった)で、各州からやってきたバラバラな民兵たちをまとめあげ、イギリス軍と戦わなければなりませんでした。
8年かかってようやく独立軍が勝利してからも、困難はつづきました。深刻な経済不況が訪れても、各州がバラバラの政策をとっていてなかなか克服できませんでした。イギリスやメキシコを支配するスペイン、さらにはインディアンとの紛争も絶えませんでしたが、それらにも有効な手立てを打つことができませんでした。
そこで、連邦政府を強化しようという気運がたかまり、1787年に今の合衆国憲法が成立、ワシントンを初代大統領とする本格的な政府がようやくうまれるのです。
しかしそれでも、連邦政府には憲法で規定された権限しか与えられず、州の力はいぜんとして大きなものとして、今日にいたっているのです。