【冷戦→湾岸戦争と反米活動】
中東での対立の基本的な構造は、ユダヤ人国家であるイスラエルVSそのまわりのアラブ諸国というものです。
アメリカは、イスラエルがそこにいたパレスチナ人を追い出す形で1948年に建国されて以来、イスラエルの独立を終始支持してきましたから、アラブ諸国にとっては「敵」にあたるわけです。が、じっさいにはかならずしもそうはなりませんでした。
アラブ諸国はアメリカとソ連がはげしく対立するという「冷戦」にまきこまれていきます。アメリカは石油確保のねらいからイランやサウジなど原油国を支持、ソ連はイラクやシリア・エジプトなど社会主義の導入を図る国々を支持するようになり、アラブ諸国は分断されます。
アラブ諸国では1980年代に入るとかれらどうしの戦いをはじめてしまいます。イランとイラクの間の国境をめぐって戦争がはじまります(イラン=イラク戦争)。
このとき、1979年イスラム革命を起こしたイランは石油をめぐって方針を180度転換して反米路線となっていたので、アメリカは「敵の敵」となったイラクを支援するようになります。
またアフガニスタンではソ連の支援する社会主義政権と、それに反対するイスラム組織の間で内戦が始まります。アメリカはやはり敵の敵であるイスラム組織をソ連の撤退まで支援しつづけました。
しかし、1990年はじめ、米ソの冷戦は集結し、ソ連は消滅してしまいます。これでふたたび「アラブ諸国VSイスラエル・アメリカ」の図式のみが残ってしまう・・わけではありませんでした。
イスラエルとの戦争を経て、アラブ諸国のほとんどはアメリカとの一定の友好関係を維持することによって、独立を保とうとする現実的な路線を選んでいたからです。
そんななか、イラクは石油をねらってクウェートを侵略、これがもとでアメリカなど多国籍軍との間で湾岸戦争が始まります。イラクは前のページで述べたようにイスラムパワーを利用するため、この戦争をイスラエル・アメリカに対する聖戦(ジハード)を主張します。
このことによって、湾岸戦争でのアメリカの行動はイスラム組織にとってはアメリカの「裏切り」とみなされ、アメリカへの失望がひろがっていきます。そしてそれは過激な反米活動、テロへとつながっていったのです。
また、湾岸戦争でイラクに味方するアラブ諸国があらわれなかったことから、中東での「アメリカ支配」がいやおうなく見せつけられ、それがかえってはげしい(かつ自暴自棄的な)反米・反イスラエル活動につながっているということもいえます。
このテロ活動の中心となっているのが「オサマ=ビン=ラディン」という人物です。ラディンはサウジのゼネコン財閥の出身であり、アフガン義勇軍の経験もあります。彼は湾岸戦争後、その財力をフルに使って大規模な反米テロ組織を作り上げているといわれています。
彼は活動中にタリバンと出会い、以後タリバンと親密になったといわれています。タリバンはその極端なイスラム主義が「人権侵害」とみなされ、アメリカのはたらきかけによっていまだに正式な政権として承認されず、国連に代表を送ることも認められていませんから、やはり反米路線。利害が一致しているわけです。
はたしてニューヨークなどでの同時テロはラディンなのか、そしてタリバンはかかわっているのか。このことしだいでは、アメリカ対タリバンの戦争がはじまってしまうかもしれません。
【ほんとうに複雑な中東の関係】
中東問題の複雑なところは、本来「パレスチナ人とイスラエルの対立」「石油をめぐるイラクとアメリカの対立」「石油をめぐるイランとアメリカの対立」「タリバンとアメリカの対立」という別個の問題が「イスラム対欧米・イスラエル」というひとくくりの図式にごちゃまぜにされてしまうことにあります。
そのごちゃまぜをつくったのが湾岸戦争のときのフセインであり、そして今では各国のイスラム原理主義組織が、それぞれの地域で反米活動をくりかえしているわけです。
この複雑な関係をひとつひとつ整理し、中東に平和をもたらすことはかなりの難事業といえるでしょう。アメリカが今後、力づくの報復で対処していった場合、この関係がさらにこじれてしまうことも予想されます。中東諸国の今後が思いやられるところです。
●アジア・中東の政治 当ページのおすすめサイト集です。
●自衛隊海外派遣の基礎知識
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。