(2001年9月13日)

【中東と「イスラム」】

イスラム教はこわい、よくわからない・・・こんな声がよく聞かれます。しかし、イスラム教は世界中で十数億人が信仰する普遍的な宗教であり、インドネシアやトルコなどもイスラム教の国です。

むしろ、イスラム教が中東諸国で「反欧米」の思想として活用されはじめるのはむしろここ十数年の新しい動きといえるのです。

第2次世界大戦ののち、独立を果たした中東諸国は、欧米諸国に対抗するためさまざまなことを試みますが、これは大きく分けて2つのタイプにわけられます。

(1)社会主義を導入し、近代的な政治経済社会をめざす。エジプト・イラク・シリアなど。

(2)石油を利用し、これを経済力向上だけでなく、欧米諸国との交渉カードに利用して国力を向上させる。イラン・サウジアラビアなどの産油国。

しかし、(1)の国々の工業化はなかなかすすまず、(2)の国との格差は広がる一方。また、(2)の国々も、経済力は確かに向上したものの、「石油」利権を持つ一部の豊かな層とその他の人々との所得の格差がどんどん開き、人々の不満がかえって高まっていくことになります。

そんななか、この地域の基本的文化であり、昔から「神の前での信者の平等」を教義の中心においてきたイスラム教が注目されるようになります。従来の支配者に不満を持つ人々は、富の平等が政治のイスラム化によって実現するという考えを支持していくようになるのです。

まず1970年代に入り、まずパキスタン、イラン、サウジアラビアで政治のイスラム化が急速に進んでいきます。近代的な政治制度は否定され、イスラムのおきてにしたがった政治が行われるようになります。

また、イスラエルに抵抗を続けるパレスチナ人組織でもイスラム化がすすんでいきました。イスラエルに対する抵抗を単なる独立運動ではなく「イスラムの聖なる戦い=ジハード」と位置づけ、パレスチナ人の支持を集めるようになります。

同じように、1980年代ソ連の支配に苦しむアフガニスタンの抵抗組織もイスラム化され、「イスラム対ソ連」という図式をつくりあげます。このとき多くのアラブ人が義勇兵として抵抗組織に参加、ソ連のアフガニスタン撤退を実現することになります。

そしてこの動きは今までの支配者にも影響を与えます。近代的な社会主義を目指していたはずのイラク・フセイン大統領は1991年の湾岸戦争を、「アメリカ・イスラエルに対するジハードである」と主張し、そのイスラムパワーを利用しようとしたのです。

そして1990年代になると、より極端なイスラム化をめざす「イスラム原理主義」が台頭してきました。「即時、全面的なイスラム化」をめざすこの思想は、アルジェリアやエジプトで、そしてパレスチナやレバノンでゲリラやテロを主体としたはげしい反政府、反イスラエル、反欧米の活動を行うようになります。

そしてアフガニスタンでは、イスラム原理主義グループ「タリバン」が勢力を伸ばし、1996年からアフガニスタンのほとんどを支配するようになります。かれらは女性の就労や教育の禁止など極端なイスラム化をすすめていきました。

このような極端なイスラム主義が、なぜアメリカに矛先を向けてはげしいテロ活動を起こしているのか、次のページで解説していきます。