謎につつまれていたダ・ヴィンチの私生活
ダ・ヴィンチはイタリアのフィレンツェで育った |
この告発は、結局証拠不十分ということで取り下げられました。もし有罪にされていたら、国外追放や場合によっては死刑などの重い罰も待っていたということです。有罪にこそならなかったものの、この告発をダ・ヴィンチは大いに恥じ、他人に知られたくありませんでした。そのために、以後は秘密主義に走ることになったのです。なお、ダ・ヴィンチを告発した犯人については、今でも明らかになっていません。
この時代には、敵対する相手を嘘の告発によって陥れるという行動も多く、この事件の告発者もダ・ヴィンチに何らかの悪意を持っていた人物である可能性が高いでしょう。しかしながら、ここでダ・ヴィンチが処刑までされていたら、人類にとって大きな損失であったでしょう。
生涯独身だったダヴィンチ
このような理由であまり知られていないダ・ヴィンチの私生活ですが、生涯結婚をせずに独身で過ごしたというのは確かのようです。またそれだけではなく、1度でも女性と親密な関係を持ったという記録が残されていません。ダ・ヴィンチは当時のイタリアでもかなりの名士であり、彼に興味を持つ女性も多かったのですが、ダ・ヴィンチはそういった女性に興味を持ちませんでした。一方で、彼が男性に興味を持っていたという記録は多く残されています。例えば、彼の使用していたノートには、男性の裸が多く描かれていました、それに対して、女性の裸が描かれていたノートは残されていません。『ダ・ヴィンチ・コード』に出てくる「ウィトルウィウス的人体図」のモデルは男性になっています。
また常時モデルとして側に置いていた人物も、女性ではなく10代の若い男性が多かったと言われています。例えば1490年(ダ・ヴィンチ38歳)には、10歳の少年を呼んできて、ダ・ヴィンチの家で住み込みの生活を始めさせました。彼はその後30年間も、ダ・ヴィンチのアシスタントなどとして側にいた存在でした。このような少年の存在が、他にも何人か確認されています。
もともとこのルネッサンス時代では、男性同士の関係は珍しいものではありませんでした。日本でも江戸時代はそういった関係が一般的だったと言われています。現代では、特に日本ではかなり同性間の性関係はなりをひそめていますが、別の時代や場所ではかなり大っぴらに男性同士の関係が持たれていたことも多いのです。
→後年、ある精神科医がダ・ヴィンチのことを分析します。