南北戦争で兵士の医療環境改善に尽力
南北戦争はアメリカを真っ二つに分けたが… |
しかしまだ衛生状態の悪いことが原因で、両軍の兵士の間に腸チフスやはしかといった病気が流行することになりました。そこで彼女の「Mothers Day Work Club」にヘルプが依頼され、北軍も南軍も関係なく、全ての兵士たちに助けの手を差し出したのです。この活動はアメリカ国内でも広く報道されていました。
南北戦争終了後もアンさんの活動は続き、戦争後のわだかまりを解くためにコンサートを開催したり、教会の学校で子供たちに勉強を教え続けたりしていました。そしてすでに述べたように、1905年にアンさんは亡くなりました。それからはすでにお話したように、娘のアンナさんが母親を敬う祝日の制定に向けて活動を開始したのです。
なぜカーネーションを贈るの?
なぜ母の日に贈る花は、他の花ではなくカーネーションなのでしょうか?一番の理由は、単純にカーネーションが母の愛を象徴する花であるからなのです。カーネーションの花言葉は「母の愛情」であり、また5月の誕生花でもあります。またキリスト教の教えでは、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアは涙を流し、その涙の跡に咲いた花がカーネーションの花であるとされています。さらに、アンナのお母さんであるアン・ジャービスは、カーネーションの花が好きでした。だからその由来にちなんでカーネーションを贈ることになっているのでしょう。
日本にはいつ伝わったの?
母の日は1915年にアメリカで制定されてから、世界各国に広まっていきました。では日本にはいつどうやって伝わってきたのでしょうか?実はアメリカで制定された1915年の直後に、キリスト教の教会などではすでにお祝いが始まっていたと言われています。ただしその当時はまだ、全国的な行事とはほど遠いものでした。日本で母の日がメジャーになったきっかけは、1937年に森永製菓が母の日を全国的に告知したことでした。その後日本は戦争に突入し、しばらくは母の日どころではない時代が続きました。しかし戦後の1947年には、正式に5月の第2日曜日が母の日として制定されることになったのです。
母の日もバレンタインデーなど他の多くの記念日のように、商業主義にとっていい口実でとなっているのは否めない感があります。しかし企業が記念日を利用するからこそ、その記念日の知名度も高まっていくのです。一般の消費者としてできることは、商業主義に惑わされずに、母の日など記念日の本当の目的や心を忘れないことでしょう。
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