古代人のキッチンに思いをはせて
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6月22日の土曜日に、京王線府中駅のすぐ横で、武蔵国府関連遺蹟の発掘公開と説明会が開催されました。 | ||
こんなところに遺蹟があったのかと、驚かされる本当に駅前の遺蹟です。
という事は府中の駅も、超高層のマンションも遺蹟の上に建っているという事になります。 |
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この遺蹟は、奈良・平安時代(約800~1300年前)に、武蔵の国の国府が置かれていた中心といわれる現在の大国魂神社横の京所(きょうず)地区から北へ250mの地点にあります。 | ||
この調査は、府中駅南口の再開発に伴って昨年12月から行なわれ、現在までに、100戸以上の竪穴住居跡や掘立柱住居跡、側溝などが数多く見つかっている。 |
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竃の部分は、粘土を固めて形づくり、長年の使用でレンガ質に変化したものが、遺蹟として発掘されているのです。 | ||
踏み固められた土橋と思われる箇所も残る一間近い間口の側溝跡 | 発掘作業中の状況。根気との勝負である。 | |
遺蹟の発掘は、踏み固められた地層の部分と、柱やカメなどが設置され柔らかいままで、上から土砂が覆いかぶさって平たんになった部分とを、実に根気よく掘り分けていく作業によって、住居跡が再現されるわけである。
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約5メートル四方の竪穴住居跡。 四本の柱を主構造材として建て、周囲には側溝を築いて壁を建て、寄せ棟の屋根をかけて住まいとしたと想像されている。 |
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側溝に築かれた竃の跡。 この位置から想像するに、登呂遺跡などに見られる住まいの中心に囲炉裏を持つセンターキッチンではなく、竪穴住居の外壁に接したウオールキッチンがこの時代のキッチンであった事が分かる。 寝食分離が、この狭い空間の中で始まったようである。 いや、この広さの住居となると、今様のオープンキッチンスタイルだったのか? 寄せ棟屋根の一部には、チムニー(煙突)もついていたかも知れない。 当時の生活を想像するだけでも、わくわくするようなキッチンである。 |
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この竃も、粘土質が赤変してレンガ状になっている。 土器から陶器への変化は、このようにしてできたレンガ質の発展したものである事が伺い知れる。 |
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(C)June.2002
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