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江戸・怪談ゆかりの地を歩く(2ページ目)

四谷怪談や番町皿屋敷など、江戸を舞台にした怪談にゆかりの地をご紹介します。怪談の地にも住宅が建つ現代、怨霊の祟りはあるのでしょうか?

執筆者:平野 雅之


八百屋お七

「鈴ケ森刑場跡」 (品川区南大井二丁目:大経寺)
「お七の墓」 (文京区白山一丁目:円乗寺)

江戸・駒込片町 (本郷追分) で八百屋を営む市左衛門の娘 「お七」 が、放火の罪で火炙りの刑に処せられたのが東海道筋にあった鈴ケ森刑場。このとき 「お七」 は数えで16歳。実際にあった話を井原西鶴が 「好色五人女」 に書き、歌舞伎で上演されたものとされています。

あれこれ異説は多いようですが、天和の大火 (天和2年:1682年12月28日) による類焼で 「お七」 の家が焼け、菩提寺の円乗寺 (または正仙院) に避難したとのこと。当初は 「お七」 も被災者だったわけです。

その避難先で知り合った寺小姓の佐兵衛 (または吉三郎、または生田庄之介) と恋仲になった 「お七」 は、佐兵衛に会いたい一心で天和3年3月2日の夜、自ら火を放ったのです。

翌3月3日に町奉行に引き渡された 「お七」 は、3月18日から11日間、他の罪で捕えられた雷電七郎右衛門らとともに、神田の筋違橋で 「晒の刑」 に処せられました。ここには見物の群集が押し寄せ、 「お七」 のことがかなりの評判となったようです。

そして3月29日に江戸を出され、品川宿の先、大井村の鈴ケ森で火炙りの刑が執行されました。そこは 「鈴ケ森刑場跡」 の史跡として、現在も大切に管理されています。

しかし、 「お七」 が焼け出された12月の大火が 「お七火事」 と呼ばれたり、 「お七」 のモデルとなった別の放火事件があったとする説もあるようです。




怪談の舞台となった地は、いずれも創作上のものか、あるいは史跡などの形で保存されているもの。怪談の地のそばに建つ住宅を購入しても、その怨霊に祟られることはどうやらなさそうです。将門の首塚周辺にはそもそも住宅はありませんけどね。



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