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江戸っ子になるにはどこに住む?(3ページ目)

今年は江戸開府400年。でも肝心の“江戸の町”がどこまでだったのかは意外と知られていません。そこで現在の東京でどこまでが江戸かを探ります。

執筆者:平野 雅之


江戸っ子になるためにはまず江戸に住むことが大前提ですが、その江戸とはどのあたりのことをいうのでしょうか?

「江戸=現在の東京都」 というのは明らかに間違いです。特に三多摩地区は明治26年までは神奈川県で、東京ですらありませんでした。

では 「江戸=現在の東京23区」 というのはどうでしょうか? 地方の人から見ると漠然とそう思いがちですが、これも間違いです。

じゃあいったいどこが江戸なの? というと、これが結構ムズカシイ。現在のように行政区画がきちんと決められた時代ではなく、はじめの頃にはな~んとなく 「江戸城下の町」 ぐらいの概念しかなかったようです。幕府による解釈もまちまちで、時代の移り変わりにより拡大したり縮小したりしています。

江戸から延びる街道筋の最初の宿場町として、千住宿 (日光・奥州道中) 、板橋宿 (中山道) 、内藤新宿 (甲州道中) 、品川宿 (東海道) があり、この江戸四宿の内側に本所・深川を加えた範囲が江戸とする解釈もあるようです。

現在の中央区東日本橋二丁目と墨田区両国一丁目との間に架かる 「両国橋」 は、江戸の範囲が拡大する以前にはその名のとおり武蔵国と下総国との両国にまたがる橋。つまり当時は隅田川までが江戸だったわけです。また、墨田区向島も江戸から見て隅田川の向こうの島という意味合いだったらしいのです。

江戸の範囲を現在の行政区画で表してみると、開府以降約100年の間に拡大されたエリアが、千代田区・中央区・港区・文京区・台東区の全域と、江東区・新宿区のそれぞれ一部となるようです。

その後、町奉行の支配範囲を示す 「榜示杭 (ぼうじくい) 」 によって江戸の範囲が示されたこともあったようで、これによると現在の千代田区・中央区の全域と、港区・文京区・台東区・江東区・新宿区のそれぞれ一部が江戸とされています。つまり若干江戸の範囲が狭められ、港区・文京区・台東区の一部が江戸でなくなってしまいました。

この榜示杭による江戸の範囲は約120年間続いたようですが、境界がきちんと決められているわけでもなく、現在でいうところの縦割り行政みたいなもので、それぞれ管轄する側の都合によって江戸の範囲の解釈が違ったり、あいまいな状態が続いたまま町域の拡大が続いていったようです。


江戸幕府による正式見解では?・・・次頁へ



壱頁 ≪江戸の歴史
弐頁 ≪風水による町づくり
参頁 ≪江戸の町ってドコ?≫
四頁 ≪江戸幕府による正式見解では?
五頁 ≪霊感のツヨい人へのオマケ



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