当たり前の建築のエレメントを凝縮
----手塚さんの建築には、「屋根の家」「バルコニーの家」というように際立った名前が付いていますが、それはどこから出てくるんでしょうか?
貴晴:よくそう聞かれますけど、最初から名前があるわけじゃなくて、それはあとから付いてくるものなんですよ。建て主の希望を聞き、趣味とかライフスタイルとかを聞いていくと、人間ってどんな人でも、その人だけに特別な何かを持っていて、同時に土地にも同じように必ず特徴がある。それを突き詰めて考えていくと、いつの間にか他のものと違うものが出てきて、ああこれは「屋根の家」しかないな、「空を捕まえる家」だなとなっていくんです。
私たちの名前の付け方になにか特徴があるとすれば、抽象的な名前がないことですね。たとえば「屋根の家」を例に取れば、屋根のない家ってないんですよ。「バルコニーの家」にはバルコニーなんてない、だって家じゅうがバルコニーですから。「縁側の家」には縁側がない、家全体が縁側ですからね。
だからそういった、ごく当たり前の建築のテーマとかエレメントを取り上げて、本当はこうあったらもっといいでしょうという話をするんです。だけどそれらはみんな、あとから出てくるもので、先に名前を付けてそれに合わせて人を住まわせるのは無理です。あくまでも人、そして土地が先にあるわけです。
「photo (c) Katsuhisa Kida」 |
----そこに住まわれる方の思いや希望を形にしていった結果だと?
由比:でも、一点にテーマを集中させようとは努めてはいますね。一戸の住宅にそんなに同時にいくつもいろんなことを盛り込めるわけではないと思ってますから。この一つのことだけはキッチリとやると。いろいろやると、何をやりたいのかわからなくなっちゃうんです。
お子さまランチのような家にはしたくない。住宅というのは一品料理なんですよ。その一品とは何かを考え追求すると、どうしてもテーマがピュアにならざるをえないですね。「ふろふきだいこん」だったら最高の「ふろふきだいこん」をどうつくるかを懸命に考える。そこに傘を立てたり、付け合わせまで考え始めちゃうとおかしな方向に行っちゃう。そう考えてはいます。
----最初、建て主さんに時間をかけてインタビューされたりするわけですか?
貴晴:みなさんが必ず大きな夢を持ったいたり情熱家だったりするとは限りません。静かな人の場合は静かな家になるし、「屋根の家」の建て主さんのようにパワフルな方だと、家もパワフルなものになる。だから一つとして同じ家、同じ解答はないわけです。ただベースにある考え方が同じで、そこから押し出されてくるものが一つひとつ違うということでね。建て主さんのキャラクターが立っている場合は、家もキャラクターが色濃く出てくるし、静かな人の場合は静かな建築になる。
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----横浜の「大窓の家」などは公園に向かって大きく開いていて、生活が丸見えのように思いますが…
貴晴:「大窓の家」の建て主さんは、都市に住まうということを一生懸命考えておられて、選ばれた土地がみんな都心ばかりだったんです。あの土地は住宅地というよりもビルの狭間ですよね。それがあそこだけ唯一、緑が取り込めそうな場所になっている。だから、じゃあ都市に対して緑がどういう意味を持つのか。それに答えを出したのが、あの建築だったわけです。
プライバシーに関して言えば、あの家は1階部分は壁になっていてほとんど中が見えないですよね。2階はあのとおり大きく開いていますが、高い位置にいる分には、人間ってあまりプライバシーが気にならなくなるということがある。たとえば「屋根の家」でも、屋根の上から道を行く人に気軽に声をかけたりするという特殊な関係が生まれるんです。つまり、高いところに上がるというのは同じ目線でいるのとは全然違うんですね。
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----ご夫婦で一緒につくられるわけですが、なにかスペシャリティを分けて担当されている?
由比:そういうのはないです。二人がいいと思わなければいったい誰がいいと言ってくれるんだというのがあって、建築というのはやはり社会のコンセンサスを得られないといけないと思いますから、必ず二人でやいのやいのやって、二人が合意に達したところでデザインを決定する。
育ってきたバックグラウンドに近いものがありますから、わりと価値観も似ていて、自分がイマイチだなと思っていると相手も同じように感じていて「まだだね」と。二人で「いいのができたね」と思えるものができたときには、ほんとに心からいいなと思えるし。そんな進め方をしています。わたしはいつも「家で仕事の話をするな」と叱られてますけどね(笑)。