夫が心地よく過ごせるように心を砕く
アルバートはドイツ人だったため、結婚した当時はまだ英語が苦手だったといいます。そんな彼のために当初、ヴィクトリアはふたりの会話にはドイツ語を使用しました。こんなところにも、アルバートに対する思いやりが見て取れます。ヴィクトリア女王のミニアチュールペンダント(1858年/イギリス/ゴールド、シルバー、ダイヤモンド、エナメル/穐葉アンティークジュウリー美術館蔵) |
う~ん、なんという心遣い。気を遣いすぎでは?と思わないでもありませんが、ふたりの関係を確かなものにするまでは何事も細心に事に当たったほうがいいのかもしれません。
ちなみに、ツリーを飾ってクリスマスを祝う女王一家の絵が新聞で報道されたことがきっかけで、イギリスでクリスマスツリーが広まったとのことです。
分をわきまえた夫
一方、“格下夫”となってしまったアルバートの心境はどんなものだったのでしょうか。ヴィクトリアと結婚する際のアルバートの待遇は、実はそれほど良いものではありませんでした。女王の夫にふさわしいイギリスの爵位も与えられず、ましてや共同君主など望むべくもない。これはアルバートがドイツ人であったことと(結婚式前にイギリスに帰化)、息子とヴィクトリアとの縁談を画策していた叔父たちへの配慮があったものと考えられます。なお、アルバートに王配殿下(Prince Consort)という称号が与えられたのは、結婚後20年近くも経った1857年のことでした。
こうした待遇について、当初、アルバートは不満と不安を持ったようですが、それを派手に爆発させることはありませんでした。これは多分に彼の性格によるところが大きかったようです。彼は物静かで、社交嫌い。落ちついた家庭生活を望んでいました。
結婚相手に富や権力があると、自分までそれを手に入れたような気になってしまうケースが多いのですが、その性格ゆえか、アルバートにはまったくそのようなところがありませんでした。自分の分をわきまえたうえで、ヴィクトリアに適切なアドバスを与え、イギリスの国政を影で支えていくことになります。
ウィクトリア女王とアルバート公をみていると、格差のある結婚を成功させるためには、お互いがどれだけ信頼し合い、尊敬し合えるかということに尽きるような気がします。富や権力、地位などをすべて取っ払ったところで、その人のことをどれだけ愛することができるのか。これはもちろん普通の結婚にも言えることですが、格差のある結婚においてはより大切になってくるように思えます。
次ページではヴィクトリア女王とアルバート公の晩年について