看板ギャルソンの条件
「テラスの最前列のテーブルのお客さまにサービスできるのは、看板ギャルソンだけだったんですよ(笑)」と須田さん。
看板ギャルソンに要求されるのは、無駄のない身のこなしと的確なサービス。「なーに、調子の良い奴ならいいんですよ」と須田さんは笑いますが、フランス流のカフェの奥深さを体感した若い日の彼は、志を同じくする同僚のギャルソンと「カフェとは何か」について語り合っていたそう。
※このときの同僚は東京店の閉店後、パリのカフェ・ド・フロール本店に「亡命」し、実力を認められて、日本人で最初であるのはもちろんのこと、フランス人以外の雇用としても初というレギュラーのギャルソンに。その姿は新聞記事でも伝えられています。
Nid Cafeの時代を経て
カフェ・ド・フロール退職後の須田さんは表参道のNid
Cafeへ。そこでオーナー、スタッフたちとともに東京カフェのひとつのスタイルを創りあげていきます。評判が評判を呼んでいった2001年のNid
Cafeには、フランス色の濃い独特の空気感がありました。当時のあのカフェが持っていた鮮烈なパワーは、今も私の記憶にくっきりと残っています。
個性の強いギャルソン集団の結束。夜遅くまでにぎわう店内に座り、タバコの煙と快いざわめきのなか、ギャルソンの須田さんと小倉さん(現ル・リオン勤務)がチェス盤をはさんで向かいあい、チェスに興じていた姿。
そのNid Cafeからある日突然、おなじみのギャルソン集団の姿が忽然と消えてしまったことがあります。その直後の時期にオーナーにお話をうかがったことがありますが、オーナーにはオーナーとしてのヴィジョンがあり、一方でギャルソンたちには彼らなりの確かな信念と夢があったようです。
退職した人々はそれぞれの思いを抱いて次の店へ散っていきました。QahwaやVIRONなど、いずれもフレンチ系列のお店です。須田さんは有名フレンチレストランでサービス担当として活躍。そこで学んだことは……。