勇者になる為のツールであったゲーム
プレイヤーが主人公にならないのであれば、いったい誰が主人公となるのでしょうか |
ゲームは、世界の中で、自分だけが唯一の勇者や英雄のような主人公になって、そこで完結するものがほとんどでした。しかしそれは、数年単位の長い期間をかけてですが、徐々に変わっていくのではないかと、私は思っています。じゃあ、誰が主人公になるのでしょうか。プレイヤーではなく、プレイヤー達が主人公になる、こう考えています。少しややこしいですね、順を追って説明していきましょう。
勇者時代の構造
多くのゲームの世界は、プレイヤーを主人公にするために全てが存在しました。クッパだって例外ではありません |
開発者は、世界を救ったり、お姫様を助けるといった、目標を設定したり、その目標を達成する過程がドラマチックになるように敵役などの困難を設けたり、さらにはその困難を解決する方法をプレイヤーに用意したります。そういった舞台で、プレイヤーは、例えばあたかも自らが世界を救うかのような英雄的体験をするわけです。
例えば、スーパーマリオブラザーズで言えば、ピーチ姫を助けに行くという目的があります。道を進むとクリボーやノコノコといった敵がでてきますが、その困難をジャンプアクションで解決して、最後はお姫様を救出するんですね。
もちろん、ゲームはお姫様を救うものばかりではありません。しかし、開発者がエンターテイメントを創造し、その用意された楽しさをユーザーが享受するという構造は、かなりのゲームにあてはまるのではないでしょうか。これが、今までのゲームに多かった構造です。
次は、開発者がエンターテイメントを用意し、ユーザーがその中で勇者になるという構造が、どう変わるのかをご説明したいと思います。