エンディング、賛否両論あるようですね。結局どうなったんだ! みたいな。
僕もゲームチャネルのプロデューサーとエンディングの話になった時に「僕はこう思う」てな事を話してたんですが、ふと思いました。なんだかコレって映画の感想を言い合ってるみたい、って。
ラストのシーンについて、プロデューサーと僕では違う意見なんですよね。しかもそれぞれに「そう思うだけの根拠」みたいなのがあるわけです。
つまり「どこそこの祈り子がこう言っていたから」「どこそこのシーンがこうだったから」とか。それぞれに解釈の仕方があって、さらに賛否両論あったりする。確かに映画の感想を言い合っているような感覚があります。それだけFF10のシナリオが映画的だったといえるでしょう。
さて、それでは僕があのラストシーンを見てどう思ったか? それは…内緒です。
別に教えたくないとか意地悪をしているわけではありません。
FF10は高度に映画的なRPGです。僕はゲーム批評に「FF10はゲームが映画に近づいたんじゃない。映画にゲームがくっついたんだ」という記事を書きました。それはこれまでのRPGのアンチテーゼ的な位置づけでの評価です。
ただ、FF10が映画と大きく異なるのは「物語を完結させるのはあくまでユーザーである」という点です。FF10は基本的に一本道のシナリオだからゲームを進めれば話は勝手に進みます。ただその中でユーザーが寄り道をしたり、スフィア盤を攻略しなかったりするのは自由です。そんな冒険を経てユーザーがエンディングを目にする時には、そこには自分なりのスピラがあると思うんです。
だからラストでティーダがどの海で泳いでいようと、それは自分の解釈で間違っていないのではないでしょうか。映画とは違い、自分が冒険の上で得た情報で、自分の視点で物事を判断した結果の解釈こそが正しいストーリーなのだと思います。
ただ、それでもあえて僕なりの解釈を述べるとすれば…。やっぱり物語はハッピーエンドがいいじゃないですか。
さて、今回で四回にわたったFF10日記を終わります。長い日記を読んでくださってありがとうございます。もし良かったら感想をください! それであなたなりのFF10の意見なんかも聞かせていただけると嬉しいです。
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