総武線の下にあったレンガ塀
「大京町遊び場」を抜けると自転車置き場があり、そこから外苑西通りに出る。四谷第六小学校方面へ行く道がある。そちらを進むと再び小さな公園が見えてくる。看板があり「大番児童遊園」とあった。その公園の先は総武線の線路が高架になっている。『昭和30年代東京散歩』を見ると、かつての渋谷川はこのあたりで総武線の下をくぐっている。たぶん、このレンガ塀のあたりだろうか。この下を川が流れていた図を想像した。
ついでに言えば、この渋谷川の源流は二系統あり、ひとつは今たどってきたものだが、もうひとつは新宿御苑内を流れていて、今もそこには細長い池が連なっている。昭和31年の地図を見ると、ふたつの流れが合流するのが、この総武線とぶつかるあたりであった。そして、この新宿御苑を流れる川がちょうど渋谷区と新宿区の境界線になっていたようだ。
外苑橋、観音橋
外苑西通りに戻り、総武線、高速道路の下を進む。高速道との入り口があり、このあたりの交差点の名前は「外苑橋」「観音橋」と橋の名前が続く。その痕跡はないが、かつてここに橋があったのだろう。地図によれば明治公園のところは外苑西通り沿いにかつての渋谷川はまっすぐ進んでいる。霞ヶ丘団地の交差点のところで、かつて僕が事務所を借りていた大家さんがやっている「ロートロ」というパスタ屋さんがある。ここでお昼を食べる。今のマスターに川の場所を聞いたが、わからないとのこと。残念。話を聞いたのは先代のお父様だったのだ