まずは薩摩の蔵屋敷跡へ

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ここが、勝海舟と西郷隆盛の会談が行われた屋敷の跡
幕末の時点で、薩摩藩の藩邸はいくつかあったようだ。
NHK大河ドラマ「篤姫」でもこれまでいくつか出てきている。まず、篤姫が最初にやってきたのは芝の屋敷。かつて薩摩藩は、桜田屋敷を上屋敷としていたのだけれど、そこが手狭になったために芝三田にあった屋敷を上屋敷としたようだ。上屋敷は藩主が江戸にいるときに居住する場所で島津斉彬もこの上屋敷にいた。
隠居した前の藩主の斉興とお由羅がいたのが高輪屋敷。養父斉彬を呪詛しているのではないかと篤姫が乗り込むというエピソードがあったが、古地図によると高輪屋敷は第一京浜から今のグランドプリンス高輪ホテル付近だろう。
そして、この写真にあるように碑が建っているのが、薩摩藩蔵屋敷跡である。古地図によれば第一京浜の外側は海で、ちょうど海に突き出る形で屋敷が建っていた。碑のところに古地図も掲示してあるが、そこには「クラヤシキ」とカタカナで書かれている。
維新前、江戸に進軍を続ける新政府軍の代表であった西郷隆盛と江戸幕府側の代表の勝海舟がここで会談し、無血開城が決まった場所である。


薩摩屋敷跡

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西郷隆盛の孫で、法務大臣を務めた西郷吉之助氏の筆による碑
芝の薩摩屋敷跡はかなり広大な土地だったようで、NECの大きなビルもその跡地の一部だった。それでもNECのビルも大きい。碑があるらしいのだが、どこにあるかわからない。清掃員の方にうかがってやっとわかった。
植え込みの中にひっそりと碑はある。目印は芝五丁目のバス停。
安政の大地震でこの屋敷はかなりの被害を受ける。そのため篤姫は渋谷の屋敷に移るのである。
その後、幕府による薩摩藩邸焼き討ち事件により、この屋敷は焼失してしまう。

芝さつまの道

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セレスティンホテル前にある「芝さつまの道」に掲載されている古地図。オレンジ色の部分が薩摩屋敷。
NECのビルには碑しかないが、隣のセレスティンホテル前にはもっとくわしい資料がある。それが「芝さつまの道」と題された掲示物だろう。これは非常によくできている。
この場所が屋敷のちょうど中央にあたるようだ。さらに当時の地図や藩邸内の図面などもあって、実にわかりやすい展示となっている。