五輪前の合宿でサービスからの展開を練習する福原愛選手 |
当初の放送予定にはなかったにもかかわらず、突如としてあれだけ映ったということは、卓球の組み合わせの決定が遅かったから予定を組めなかっただけで、福原選手の試合を放送するというのは織り込み済みだったんじゃないかと思います。まあ、そのへんの事情はともかく、現地に行けなかった僕のような卓球ファンにとっては、なんともうれしい予定変更でした。
福原選手の試合を見ていて思ったのは、テレビというのは怖いな、ということです。調子とか心理状態などが画面を通してありありと「わかる」んですよね。
初戦の2回戦のミャオ・ミャオ選手(オーストラリア)との試合では、表情が硬く、サービスを出すときの手が震えていたので、「やばいぜ」と思ったらセットオールのギリギリの勝負になったし、3回戦の高軍選手(アメリカ)との試合は逆にリラックスしていたので、1セット目をとった時点で「あ、いけるな」と思ったらストレート勝ち。ひょっとすると、試合会場で「本物」を見ているよりも「わかりすぎる」部分があるような気がしました。
痛快だった福原選手のコメント
さて、放送のなかで僕にとっておもしろかったのは、試合そのものよりもコートの外での「コメント」でした。地上波から衛星放送からチャンネルをいろいろ切り替えていたので、どの局のどんな放送だったのかは覚えていませんが、高軍選手とやる前の「勝ちにいきます」というコメントに「おっ」と驚き、4回戦で金?娥選手(韓国)に敗れたあとの、「オリンピックは楽しめましたか?」という質問に、「楽しむためにきたわけじゃないですから」と答えたシーンは実に痛快でした。いつのころからか、日本代表クラスのスポーツ選手から「試合を楽しみたい」というコメントを耳にするケースが増えてきたように思うんです(気のせいかな?)。僕はそのコメントを聞くたびに、違和感というとオーバーですけど、妙な「ひっかかり」のようなものを感じてきたんです。
アスリートとして最高のパフォーマンスを求められる試合で、その状況を「楽しむ」ということが、はたしてそんなに簡単にできるのかな、という疑問があるんですね。もちろん楽しめるに越したことはないんですけど、試合を「楽しむ」というのはとてつもなく高度なこと、ある意味では「勝つこと」よりも至難の業であるような気がするんですね。