優勝後の記者会見で、松下は開口一番、優勝回数が3回になったことにふれた。
「同型(カットマン)の選手として高島さんの3回に辿り着きたいと思っていたんですが、やっとそのレベルに達したんじゃないかと思っているんですけどね。すごくうれしいです」
記者のひとりから、3回の優勝によって、チャンピオンのなかでも一流のチャンピオンと評価されたんじゃないか、と問われ、
「そういった実感はないですよ。歴代の先輩たちに並ぶことはできたんですけど、僕はまだまだだと思いますし、卓球もそうですけど、人間的にもまだまだだと思いますんで、そういった先輩たちに追いつけるように勉強していかないといけないんじゃないかなと思っているんですけどね」
謙遜も含まれているのかもしれないが、松下が「まだまだ」と口にするのも無理はない。3回以上優勝した選手は過去に7人いる。斎藤清の8回を筆頭に、長谷川信彦6回、藤井則和5回、田中利明、河野満、高島規郎、偉関晴光の4人が各3回。戦後すぐに全盛期を迎え、日本が世界選手権に参加していなかった時期に活躍した藤井を除けば、長谷川、田中、河野は世界チャンピオンの座についている。
高島には世界3位の実績があり、斎藤もベスト8に食い込んだことがある。さらには、2回以下の選手のなかには、伊藤繁雄や小野誠治らの世界チャンピオンがおり、かの荻村伊智朗でさえ全日本を獲ったのは1回きりなのだ。卓球ニッポンを築き上げてきた先達のなかに入れば、松下のダブルス世界3位という実績さえかすんで見えてしまう。
だが、しかし、95年に2回目の優勝を飾った松下が、チャンピオンへの返り咲きにかかった6年という期間は、高島が2回目のタイトルを獲るまでの期間と並んで最長記録であり、それだけ長く日本のトップクラスでありつづけたことの証明でもある。そして、彼が日本卓球界のパイオニアとして成し遂げてきた無形の功績を振り返ったとき、カットマン受難の時代に強さと華麗さを兼ね備えたプレーで観衆を魅了しつづけてきたことを思い起こしたとき、今回の優勝には金メダル級の輝きが確かにある。
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