卓球/卓球関連情報

世界卓球選手権大阪大会ルポ 練習会場から見える風景(15)(4ページ目)

連載ルポルタージュの15回目。数回にわけて紹介する高島氏のロングインタビューの第3回。

執筆者:壁谷 卓

そうした「内紛」が勃発したのが、1998年9月28日から10月4日にかけて、いま、私たちのいる大阪市中央体育館で開かれたアジア選手権のときだった。

「最終日の前日ぐらいにね、『反主流派が高島総監督兼女子監督を辞任させて、ソーレン・アレーン監督の権限を半減させる』というのが新聞にでたわけです。どうしてそういうのがでたかっていうと、その大会期間中にいろんなカテゴリーの方がある会議室を借りて、我々を辞めさせる算段をやったんですよ。

そして、そのなかで決めたことを、日本卓球協会の強化本部長なり、専務理事に提出したというふうな記事が新聞にでたんです。そうしたら日本卓球協会は、2001年までソーレン、高島のラインでやらせるということを理事会で決定しておきながら、手のひらをぱっと」

そういう記事がでた影響はあるのだろうが、ナショナルチームのメンバーを発表して1年足らずという短期間に、どうしてそう簡単に寝返ったのか。発端は、アトランタ・オリンピック後に組織された「強化対策委員会」が、その内紛が起こる5カ月まえの98年5月、「強化対策本部」に格上げされたことにある、と高島氏は言った。

「ナショナルチームでやっている活動、やろうとしている計画というものが、末端まで行き届いていないから誤解がたくさんあると。で、誤解がないように、ナショナルチームの情報を広く日本国中の卓球界に知らしめるために、日本リーグ、日学連、高体連、そういうところのカテゴリーの長を強化本部の委員にして、連絡係にしてはどうかと。

ナショナルチームはこういう活動をしていますということを伝えて、その方々が各カテゴリーに持ち帰って浸透させていただくというのが、日本の連絡システムとしては一番いいんだと。

『ああ、ごもっともです。それは、我々だって助かります』という話だったんです。ところが、実際にカテゴリーの方が強化本部の委員に選ばれたときに、『我々は連絡係ではない。強化本部の強化委員である。もの申す』というふうに言い出したんです。そこで対立がおきたわけです」
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