「お客さんが会場に入ったって構わずずっとスパーしてた」
藤原喜明の格闘人生、その基盤を作ったスカイジム。藤原は貴重な写真を見せてくれた (C)kawazu |
「違うらしいな。俺たちは、お客さんが会場に入ったって構わずずっとスパーリングやってたしな」
――それは、藤原教室ですか?
「そうそう。今なんて(練習中にお客さんを)入れないらしいじゃん。どうして?なんか都合でも悪いの?」
――当時はプロレスの練習。いわゆる、ロープワークや技の攻防といった練習なんかはしていたのですか?
「はっきりいうけど、俺がコーチをやっていた頃はなかったな」
――さて、もともと藤原さんは、23歳でデビューをされ、当時では遅咲きのデビューでした。入門前はどのようなトレーニングや練習をされていたのでしょうか?
「横浜のスカイジムってところで2年くらい働きながら練習していたんだよね」
――この時、グラウンドの練習もやっていたと聞きましたが・・・。
「そうそう(と、写真を見せてくれる)。高校生の時からサラリーマンになって、これは18歳か19歳だよね。いい身体してるだろ?」
――食事とかは?
「いや、食うだけメシと玉子とメザシで作った体だよ(笑)」
――当時のスパーリングや練習というのは?
「当時は、極めるっていうよりも押さえ込みだよな。それを極めるという風にしていったのはゴッチさんだよ。ゴッチさんが新日本にきてて、丁度、俺もヒザを怪我していて練習を見てたの。そしたら“お前、ちょっと来い”っていわれて教わるようになったんだよ」
――ゴッチ式トレーニングは、やはり器具は使わず自重が多いんですか?
「うん、プッシュアップとかスクワットとか。延々とやらされたよ。スパーリングもやったな。でも、スパー中に“ストップ、ここはこうするんだ”とかいわれてな」
――練習に参加されていたのは、どんなメンバーだったのですか?
「(写真を指して)皆、いい身体してるわ。(ドン荒川も)いい身体してるし、(グラン浜田は)いいモノを持ってたよ。柔道の軽量級のオリンピック候補だったからな。あとは、小鉄さんに柴田さんだな。野毛の道場だと、夏は40度以上あって汗がたまって、練習はきつかったけど、終わったら皆でビール飲んで楽しかったよな」
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