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兄格闘家、弟プロレスラー。兄弟の闘い(前)(2ページ目)

総合格闘技の世界に身を置き『HERO'S』で闘うRYOと、プロレス団体『ZERO1-MAX』で頂点を狙う崔領二。実直で真面目な兄と、多彩な感性を持つ弟。二人は兄弟での飛躍を誓う。

執筆者:川頭 広卓

多くの発祥の地、イギリスへの旅立ち

見えない壁を破ってこそ、プロレス界に未来が訪れる。崔領二に掛かる期待は限りなく大きい
――領二さんが1980年生まれで、27歳。RYOさんが1978年生まれですから、現在は29歳ですか?

領二「はい、そうですね」

――幼少の頃は、どんな風に過ごしていたのですか?

領二「小学校の頃は、兄弟で剣道やっていましたね。通っていたというか、通わされたというか。親のしつけで“武道をやらせるのがいいんじゃないか?”っていうところから、小学校で剣道やって、中学ではバスケになりましたね」

――先に始めたのは?

領二「僕はお兄ちゃんのやることに付いていく感じでしたね」

――領二さんは、15歳でイギリスへ留学される訳ですが、その頃のお二人にはプロレスや格闘技に対する興味はなかった?

領二「全くなかったですね」

RYO「興味自体なかったですね」

――領二さんが海外留学を志した理由というのは?

領二「当時、僕は向こうの高校に行きたいなって思っていましたが、映画に興味を持った時期があって、中学3年になると受験が始まって、部活も夏で終わるので、勉強もせずに映画ばっかり観ていたんですよ。洋画にはまったりとか。それで、何故か日本の高校に行くことが小さいことに感じてしまうんですよね。何も知らないんですけど・・・」

――日本の高校には興味をなかったのですか?

領二「自分の学力で行ける高校というのも限られてきて、その高校にバスケ部があるとか、何があるって調べてたら、それまで、中学校で普通に勉強してきたクラスメイトと、全く同じ高校に行くのも、もったいないなと思って、ちょっと変わったことがしたかったんですよね」

――RYOさんの方は、当時、海外に目が向くということはなかった?

RYO「そうですね、バスケットがしたくて、中学校の時の顧問の先生が“ここがいいんじゃないか?”っていったところで高校を決めましたね」

――17歳で弟がイギリス留学するというのは、兄からすれば、どんな気持ちだったのですか?

RYO「その時は、“バスケやりたいなら、バスケやればええし、英語やりたいなら、英語勉強するのも自分の選択なんちゃう?”って話してましたね。そうしたら、“イギリス行く”っていうので“じゃあ、いってらっしゃい”って」

――当時は、今みたいな通信手段もないですから心配だったのではないですか?

領二「その時は手紙ばっかり書いてましたね。あとは電話かな。向こうで安いカード買ったりもしましたけど、それでも高かったですよ」

RYO「コレクトコールとかでしたっけ。でも、母親は息子が可愛いから、時差で夜中に電話があっても、“大丈夫、大丈夫”って電話出てましたね」

領二「イギリスでは、どこの公衆電話からも国際電話できるんですよ。日本に比べて、イギリスの物価は安いというイメージがあったので、“幾らくらいかな?”って見てみたんですよ。で、お金入れてかけたら繋がって、30秒くらい話せたんですよね。しかも、そのワンコインが“1”って書いてあったので、“1で30秒くらい話せたら、毎日電話できるな”って思って、すごい電話かけたんですよ。それが、あとで気付いたら1は1でも、1ポンド。今でいう250円くらいですかね。ものすごいお金の無駄をしたんですよ(苦笑)」

――ちなみに、イギリスという国を選んだ理由というのは?

領二「はじめは、アメリカに行きたかったんです。でも、親が“治安が悪いので危ない”って言うので、イギリスを調べたら、全ての発祥の地なんですよ。義務教育、サッカー、ゴルフ、テニス、鉄道、映画、演劇、プロレスも。でも、実際には時代においてけぼりにされていた。これはあとで分かったことなんですけど、(イギリスには)“基礎”みたいなものはあるんじゃないかと思って向こうへ行きましたね」
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