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ハッスル山口日昇新社長に聞く(下)(2ページ目)

ハッスルエンターテインメント山口新社長に行ったインタビュー後編。その話はハッスル誕生秘話から、今後の構想。更には、先日行われた『ハッスル・エイド2007』の総括まで、たっぷり語って貰った。

執筆者:川頭 広卓

「第1回目は“あ~あ、やっちゃったなぁ”って感じ」

山口社長:で、ハッスル立ち上げの全然前から「PRIDEをやっているDSEがプロレスのイベントをやるなら、従来のプロレスをやっても意味がない」ということを榊原(信行 前DSE代表取締役)代表と雑談ベースで話をしていたことがありました。プロレスと格闘技どっちつかずの勝負論を軸にしたものではなく、勝負論だけに頼らない、プロレスでしか表現できないものを軸とした方向に針を振ったものをやらなければ意味がないというところから、ハッスルは出発しました。

ガイド:確かに勝負論でPRIDEに勝ることはできないでしょうから。

山口社長:誰vs誰の「勝負論」を軸に据えた戦いを「観戦」する楽しみではPRIDEにはかなわない。じゃあ、プロレスはこれから何を見せていけばいいのか、プロレスの持ってる可能性とは何か、プロレスにとっての真の勝負論とは何か、ということを真剣にみんなで考えました。「日本のプロレス界を根こそぎブチ壊し、瓦礫の山の上に新たな道をつくる」と高田総統はよく言いますが、この言葉はハッスルの理念と重なるところがありますね。腐ってる部分を切り捨てて、生体としてプロレスを蘇生させて、新たに歩ける体力をというのであれば可能性はあるんじゃないかという話の中で、「そういえばゴールドバーグの契約も3回残っているし、何かやろうか?」っていうのがきっかけでしたね。

ガイド:そうだったのですか。

山口社長:小川直也や橋本真也、高田延彦、ZERO-1の中村代表各氏と「新しいプロレスをつくろう」と相談し始めたのが2003年の6月とかですね。でも、当時の小川・橋本の二人はDSEと向き合いが悪かったんですよね。確か、バトラーツの選手が旧ZERO-ONEのシリーズ(火祭り)に出るって決まっていたのを(アントニオ)猪木さんがストップしたしないで揉めたことがあるんですよ。

ガイド:ありましたね!

山口社長:丁度その頃、猪木さんはPRIDEの顔役だったじゃないですか?小川&橋本とDSEというよりは、彼らと猪木さんの向き合いが悪かった。猪木さんは関わらないところで、DSEが新たに始めるプロレス・イベントを一緒にやっていこうよと話をしましたね。

ガイド:当時、具体的なハッスルのイメージを選手に伝えることはできていたのでしょうか?

山口社長:今みたいな方向性が明確には見えてなかったんですが、食事やお酒の席で、ざっくばらんに話していく中で、おぼろげながら見えていた部分はありますよね。本当にこれまで、この世にないものを創り出そうというモチベーションはスタッフ、選手にはあったんですが、でも、それをどう具現化していくか。これまでのプロレス界の慣習もありますし、一筋縄ではいかないだろうし、時間がかかりそうだなぁとは思ってましたね。

ガイド:今でこそ、ハッスルには継続した強みがありますが、当時は大会の開催毎に賛否が起こった。その中で、どのような手ごたえを持っていましたか?

山口社長:第1回目は「あ~あ、やっちゃったなぁ」って感じですね、正直なところ(笑)。本当にお金を掛けた勉強ですね。でも、それは当時、榊原代表が「新しいものをつくろうよ」って言って資金を投下してくれたからできたことでもあります。壮大なる実験ですよね。実験だから、毎回ヒヤヒヤですよ。

ガイド:莫大な資本投下の基にハッスルが誕生したと?

山口社長:僕はその頃、ソフトのプロデューサー的立場でしたので、お金の面にタッチはしていなかったのですが、榊原社長に“打席に立っていいよ”と言われ、ホームランか三振しかないところを三振したのが第1回ですよね。ただ、次は球に当てなきゃいけないのですが、当てるだけじゃダメ。何か大きくバッティング・フォームを変えてホームランを打てる状況にしなければならない。そこで生み出されたのが今の方向性ですね。第1回の失敗を受けて、それから第2回までの間に大きくバッティング・フォームを変えました。

ガイド:第1回では、山口社長の構想はどのくらい実現ができていたのでしょうか?

山口社長:『ハッスル1』には『WRESTLE-1』のカラーが残っていたり、川田(利明)選手がマーク・コールマン選手と格闘色の強い試合をしたり、まだまだ方向性が定まっていなかった。何故かと言えば、当時、DSE初のプロレスイベントに小川&橋本を引っ張り出すだけでも大変だったり、高田(延彦)さんをプロレスに携わらせるという難しさなんかもあった。第1回は開催するということと、人を集めるのに、全ての労力を使ってしまったという感じですよね。

ガイド:当時のインパクトは、かなり大きかったですが、例えば、高田総統の存在なんかは継続した一つの賜物でもあります。ハッスルを継続する間で、迷いや葛藤はなかったのでしょうか?

山口社長:僕の中には1mmもありませんでした。選手の中にはあったかもしれませんが(笑)。もちろん、高田総統に限らず、選手の人達にとっては、「一体俺らは何をやらされるんだろう?」っていう不安はあったかもしれないですよね。

ガイド:また、一つの転機として芸能人がハッスルのリングに参戦するといった試みも開始しました。ありがちな発想ではありますが、当時のプロレス界には“異物混入”を嫌がる風潮がありましたよね?通訳やゲストのタレントさんがリングに上がるだけでもブーイングが起こる様な風潮もありました。その中で、こうした試みを断行したのは?

山口社長:例えば、うちのスタッフの中にもプロレスを深い部分で知らない、歴史を知らないスタッフがいるんです。だから、そういうプロレスファンの感覚って分からないんですよね。「何でそれがダメなの?」って普通に思っている。プロレスラーやプロレスファンのこだわりが、一般の人からすれば、何でそこにこだわっているのかが分からないっていう状況が、プロレスをよく知らないスタッフと働くことで僕らも分かってくるんです。

ガイド:一昔前の企業文化みたいな、社外の人から見れば、疑問だらけの文化の様なものですよね。
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