“ドームプロレス”がもたらした功罪とは?

一時は開催が危ぶまれた1.4ドーム。蓋を開ければ、実りある大会となった
1月4日(木)、東京ドームで開催された新日本プロレス(以下、新日本)と全日本プロレス(以下、全日本)による創立35周年記念大会『レッスルキングダムin東京ドーム』。

日本で初めてドーム興行が行われてから今年で18年。とりわけ“1.4東京ドーム”は、プロレスファンにとって初詣といえる恒例行事へ成長を遂げた。

しかし、ここ何年も続くドーム興行の不振によって、本大会は開催が危ぶまれ、実際に新日本がユークス傘下へと入り経営の建て直しを断行している以上、収益の見込めない興行は非現実的であった。不振の原因は必然性のないマッチメイクや、ニーズにそぐわない外国人選手の召喚など挙げればきりがない。公表される入場者数とは裏腹に目に見えてわかる不入りによって閑散とするドームの雰囲気は、皮肉にも新日の衰退を色濃く現しているようでもあった。

今から10年前。新日本にとって人気のピークと目された1997年、nWoシリーズ全盛期には、東京、名古屋、大阪、福岡と、4大ドームツアーまで行われるほどの盛況ぶり。数万人規模の入場者数に、テレビの放映権料やグッズの売上に至るまで、地方シリーズを補って余りある莫大な収益は、新日本を名実共に国内トップの団体へと押し上げ、「メジャー団体」新日本の呼び名を不動のものとした。

今にして思えばドーム興行の破綻はプロレスバブルの崩壊へと繋がり、さらにはプロレス自体の有り方をも変えた。広いドームでの試合となれば、選手はグラウンドの攻防を控え、良くも悪くも一般の来場者を対象とした最大公約数的なプロレスを展開せざるを得ない。これらドームプロレスは、コアで深みのある生き様や闘いを求めた従来のファンを置き去りに以後一人歩きを続ける訳だが、今現在、少ないシェアを国内数十団体で必至に奪い合っている実情をみれば、母数となる新規のファンを獲得したとも言い難い。

もちろん、あくまで一つの要因でしかないが、プロレス人気の低迷はバブルによってレスラー・関係者がプロレスの本来あるべき姿を見失い、ファンをないがしろにした結果といえる。日本経済とは異なり、いまだ回復の顕著な兆しがみえないプロレス界。今さら過去をなきものにはできないが、深刻なプロレス不況下において人気復興のきっかけを作るとすれば、ドームの借りをドームで返すといった劇薬も必要か。業界全体の人気を押し上げるのは、NOAHでもドラゴンゲートでもなく、やっぱり新日本プロレスであり、全日本プロレスしかないのだろう。前置きが長くなったが、今回の新日本&全日本の合同興行にはそんな期待を抱いていた。