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プロ格闘技15年の宴(下)part.5

おなじみ狂犬ブラザースが、All About 格闘技コラム7年の総まくり&1994年を嚆矢とするプロ格闘技界15年間の「現在/過去/未来」を語り尽くす。

執筆者:井田 英登

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アリーナ格闘技イベントとITバブルの類似構造

矢作「まあ、結局All Aboutでの君の仕事が、ダークサイドジャーナルに傾いていった背景には、この業界のビジネス自体が急激にでかくなってしまって、核になった総合格闘技というスポーツが成熟しきる前に、商品としてどんどん一人歩きしていってしまったことにあるよな」

井田「ポンと“ダークサイドジャーナル”の一言で片付けられてしまうのは、当人的には非常に抵抗がありますけどね(笑)。でも僕のAll Aboutでの300本を越える原稿は、結局いわゆる“アリーナ格闘技”との戦いだったとは言えるかも知れないっすね。マイナーなアマチュアシーンをムキになって取り上げてたのも、派手なスーパーイベントへのアンチテーゼでしたし、中央の光の強さに負けたら、何がこの業界の下支えをするんだ? という反感から意地になってやってましたし」

矢作「まあ、君がベタな意味でアマチュア格闘技を好きで溜まらないタイプだとは、誰も思ってなかったろうよ(笑)」

井田「そうですね(笑)。でもそうでないとバランスが取れない。結局今この10年から15年のプロ格闘技のシーンを俯瞰してみると、まずなによりビジネスありきで、競技は二の次三の次でしかなかった悲しい歴史になっちゃうと思うんですよ。そりゃもちろんプロと名乗る以上、金も必要だし、競技を継続するために一定の注目と資金は常にキープしなきゃいけないけど、リングの上の熱闘に期待して集まったファン側の期待がが結局お金になるわけじゃないですか? その期待の集約であったお金をビジネス陣が吸い上げてどこかに消えてしまった。結局リングの上は貧乏なまま放置されて、ごく一部の例外を除けばそんなお金持ちになった人は居ない」

矢作「どこかに消えたって、○○の方だろ(笑)」

井田「言うな言うな、具体的な地名は(笑)」

矢作「でもヘンな話一つ教えてあげようか」

井田「なんです?」

矢作「君が去年、○○ばっかり行って地元の格闘シーンの取材に入れ込んでたじゃないか? あの動きを見て、業界の人間の一部の関係者が■■氏の追跡取材に動いてるんじゃないかと、色めき立ったらしいぜ(笑)」

井田「なにを馬鹿なことを(笑)。今言われるまで、全然そんな見方があることすら気がつきませんでしたよ…あー、■■さんね…なんか関係者がウチの周囲の人間、にそれとなく探りをいれてきてたとは聞きましたけど…」

矢作「疑心暗鬼って怖いね(笑)。気づかない君の呑気さにも呆れるが」

井田「金がどこに流れようと、僕には入ってこないもの。うらやましいだけで知りたかないよ(笑)。しかし…結局アリーナ格闘技ビジネスって、地揚げとかITバブルなんかとおなじ構造もってるんですよねぇ」

矢作「構造?…ああ、“期待値産業”って事ね」

井田「そうそう。地価はもちろん、IT産業なんかの“時価相場”産業は、とにかく派手に話題性のある仕掛けをぶちあげて、無い値打ちをでっち上げる仕事じゃないですか? 世間の耳目を集めて、テレビに何時間枠を取ったか、雑誌何誌が特集を組んだかで、ざわつく世間の温度を上げて、その期待値に銭が集まる。ホリエモンなんかは結局実質ゼロに近かったあの会社の広告塔としてテレビに出まくったことが、一口株主達の期待をあおって資産を集めてしまった。そんな風に、実質的な産業構造を確立する前に、とにかく新しくてスゴそうだというイメージを確立して、スポンサーなり、出資者、株主なんかのお金をドンと集めてしまう」

矢作「実務の方はお留守にしても、とにかく幻影に幻影を積み重ねてな」

井田「そう。結局PRIDEなんかがなぜあれだけゴージャスにファイトマネーを積み上げて、世界のスター選手を買い集めたかって言ったら、結局“期待値”の発熱感を上げたかっただけなんですよね」

矢作「でもさ、実際に当時の海外格闘技のシーンを動き回ってた、極々初期の総合格闘技記者として言わせてもらえば、総合格闘技選手なんて、実際はそんなスゴいスーパースターでもなんでもなかった。昨日まで好きで空手をやってました、レスリングは世界級でも人を殴るなんて練習はしてませんでした、あるいは酒場で暴れてましたなんてえ、アマチュアばかりなんだぜ。そもそも総合格闘技なんてえ競技自体がなかったんだから。K-1なんかはまだ海外キックシーンという細々とでも十年以上積み重ねられたシーンに、日本の正道空手の選手層が立ち向かうという、競技のベースがあった。でもMMAは全然この世になかったものを、UFCっていう残酷テレビショーをでっち上げただけの、何もベースのない世界だったんだ。いわば彼らにつけられた値札自体、ある意味インチキだったんだよなあ…」

井田「まあ唯一、ヴァーリトゥードを想定していたグレイシー柔術は、MMAを想定していたアマチュアスポーツでしたが。あくまでブラジルのローカルシーンでの話で、プロ構造は皆無でしたからね」

矢作「UFCの初期スターはケン・シャムロックにしたって、ダン・スバーンにしたって、ちょっと毛色の変わったプロレスラーだったにすぎないし、有名でもなんでもなかった。MMAファイターと呼んでしかるべき実質をそなえていたのは、結局ホイス・グレイシー一人だったんだから。ある意味まだ全く砂上の楼閣だったよ」

井田「そうですね。ただその砂上の楼閣は、人間が逃げ場のない檻の中で生拳で顔面をたたき合うという、非常に刺激的でヤバい場所だった。だからみんなが怖いモノ見たさで注目し、そして心ある人たちからは蛇蝎の用に忌み嫌われた」

矢作「実際あの初期のUFCが実はNHKのBS局で深夜に放送されたこともあったんだよ(笑)」

井田「ええ知ってます(笑)。シャムロックのセコンドで現地観戦した船木誠勝がゲストコメントだったかな? 画期的というか、絶対スポーツとしての扱いじゃないですよね。海外のおばかさんたちが熱をあげてる残酷ショー的な見方だったんだと思いますが。でもよく編成のオッケーがでたもんだと(笑)」

矢作「まあ、まだ当時BS放送自体アングラな存在だからできた快挙というか冒険だったね(笑)」

井田「でもそうやって、マニア層の温度はどんどん上がってて、K-1でもパトリック・スミスやキモ、あるいはUWFに居場所が無くなった田村潔司とかを起用して、総合マッチを試したりして、徐々に日本市場に“幻”を見せる場所が現れ始めて」

矢作「それを言うなら修斗が、『ヴァーリトゥードジャパンオープン』を開催したことが何よりも先に来なきゃダメでしょ(笑)」

井田「あ、そっか(笑)」

【PART6】ヒクソン幻想の裏に渦巻くマネーゲームが、今日のアリーナ格闘技イベント乱立を産んだに続く
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