熾烈を極めた水面下の交渉
既にお察しとは思うが、この“ヨ~ガ柔術”というスタッフ=岩倉である。何度かメールのやりとりを繰り返す中で、感情的になる一方の柳は、山木を “どこの馬の骨とも判らない素人”として切って捨て、対戦拒否のニュアンスを濃厚に打ち出してきたのだという。
むろんこの主張は、「誰の挑戦でも受ける」としてきた柳側の言い分と相反するものであり、かなり軸がぶれてしまった印象を受ける。うがった見方をすれば、色々ないちゃもんを付けることで、とにかく柳は“実戦回避”に持ち込みたかったのかもしれない。
だが、既に対戦要求は公表され、多くのファンの耳目も集まりはじめていたわけで、「探偵ファイル」側も引くに引けない。メールでの水面下の交渉は熾烈を極めたという。
とにかく、柳を対戦の場に引きずり出すしかない。それまでは先方の言い分に徹底して寄り添うだけのこと。そこで山木に代わる対戦者として白羽の矢を立てられたのが、“格闘技経験豊か”な岩倉だったのである。
王道を征く“神童”と、彷徨える“雑草”
そもそも、岩倉の格闘キャリアの振り出しは、中学時代に遡る。愛知県刈谷市に在住する岩倉は、進学と同時に地元刈谷東中学校柔道部に入部。当時、近隣の大府西中学の同学年には吉田秀彦がおり、中学一年生の練習試合で一本背負いで投げられて負けた記憶があるという。「壁までぶん投げられましたよ。何で同じ学年にこんな化け物みたいな奴が居るんだってビビりましたよ」とは、当時を語る当人の言葉。当時から神童ぶりを発揮していた吉田は、1984年8月に中学二年生で全国中学校柔道選手権を制覇。その後、東京世田谷にある名門柔道私塾講道学舎へ入門、それにともない中学三年で世田谷区立弦巻中学校へ転校、柔道界のエリート街道を突っ走っていったため、両者に大きな接点はないままで終わった。ただ、日の当たる表街道を突っ走った吉田と、後に“地下格闘技界”で不思議な光を放つ存在となる岩倉との道が、十代の少年時代に交差していたことは非常に興味深い。
地下格闘技の帝王、地上侵攻作戦開始!? (6)に続く