“レフェリーという仕事”の厳しい現実


ZSTのようにグラウンドでの顔面パンチを許さない極めてセーフティーな設定を採用する団体もあれば、PRIDEのように頭部への四点膝を許容してスリリングさを演出する団体もある。同じ総合格闘技の範疇にあっても、その“法の精神”は既に別競技と言っても良い程だ。

だが一方で、日本に於ける総合格闘技のレフェリー人口は驚く程少ない。

実際、プロに限っていうなら現在定期的に興行を行っているのは修斗,PANCRASE, PRIDE.DEEP,ZST,HERO’S,CAGE FORCE(DEMOLITION)といった7団体ほどだが、レフェリー(ジャッジ)業に携わっているのは、二十名に満たない。

そのうち修斗とパンクラスではそれぞれ他団体に上がらない専任者が居て、総数の約半分を占め、残りの十名強が毎日のように開催される格闘技イベントに招かれ、掛け持ちでレフェリーを担当していると言う状況なのである。(さらにはキックボクシングを裁く人も居る。)

今回秋山事件の舞台となった「Dynamite!! 2006」では、K-1(キックボクシング)とHero’s(総合格闘技)という二種類の競技が混合で行われたこともあって、平直之、芹沢健一、礒野元、梅木良則、和田良覚、岡林章といった各種総合格闘技団体でもおなじみの面々がレフェリーとして参加している。

時に構成は変わるにしても、彼らはPANCRASE,DEEP,ZST,HERO’S,CAGE FORCE(DEMOLITION)、スマックガールなどを団体横断的に勤める。場数が多いという事は経験豊富という事でもある。なにより“渡りレフェリー”という一匹狼的なビジネスが成立する背景には、彼らがさまざまなルールの違いに対応できる柔軟な応用力を備えているという事に他ならない。

だが、今回の「秋山事件」に限って言うなら、その“応用力”の強さが裏目に出た部分もあるのではないかと僕は感じた。特に直接試合を裁いた梅木レフェリーは、業界でも屈指の判断力を言われて来た。

例えば、レフェリー業のキモの一つに、ストップの判断というものがある。瞬時に戦況が変わる格闘技の試合の、コンマ数秒の攻防の中で、説得力のある勝敗を判定するのは並大抵の事ではない。生命の危険を犯してギリギリの攻防を繰り広げる選手たちを、“どこまで許すか/どこで止めるか”の判断で切り分け、“まだ闘える”と考えがちな選手の気持ちと、“もう終わりだろう”と納得する観客の感性と、選手の安全という、相反する三つの要素を合致させねばならない。そんな絶妙のフィニッシュタイミングを捉える事ができる人材は、本当に希有な存在なのである。梅木レフェリーや和田レフェリーらは、そんな“神業”を積み重ねる事で、プロモーターや選手から信頼を勝ち得てきた人である。多団体時代でもある現在、彼らが引っ張りだこになりながら、毎日のようにリングに上がっているのは、伊達ではないのだ。

だが、同時にそれは先に述べた、団体間のルールの違いや運用システムの差をふまえた、アクロバットのような行為でもある。



既にご存知の方も多いと思うが、昨年、僕はとある総合格闘技イベントの再建を引き受けるコンサルティング業務をやっていた。

スター選手もおらず、運営実績もほとんどない団体だったので、ただ選手をかき集めて漫然とイベントを開催してもお客が入る訳ではない。そんな団体を雑誌やメディアが取材してくれるわけもない。

そこで、僕は「持ち点」スタイルの特殊なルールを設定するという打開策を講じたのだった。選手に最初から20点の持ち点を与えて、打投極の技にくわえて、柔術的な押さえ込みなどで、相手にコントロールされるたびに、減点して行くというシステムであった。かれこれ二十年前に、いわゆるUWFプロレスがまだ格闘技の技術を十分知らない観客にも攻防の妙がわかるようにと、ロープエスケープとダウンの応酬の仕組みをリアルファイトに持ち込んでみようと思ったのである。

点数制にすると“競技がアマチュア臭くなる”とか、“ゲーム的になってしまう”という批判はあったが、そんなことは百も承知。もちろんそれが競技的にベストと考えたわけでもない。確信犯で、一本勝ち至上主義の総合格闘技の潮流に逆行する仕掛けを持ち込んだつもりだった。とにかく他の団体がやっていない奇抜な事を仕掛けて、まずファンの話題にしてもらう事が目的であった。批判はむしろ大歓迎。金もコネも歴史も実績も無い後発団体を目立たせるゲリラ戦法だったのである。

ただ困ったのはその運用であった。このイベントはそもそもそれまでバックアップしてくれていたある団体と亀裂を生じてしまったために、選手ブッキングルートはおろか、レフェリーやドクターというイベント運営の裏方さんのルートまで根こそぎ失っていたのである。

奇抜なルールを設定したはいいが、その特殊性を理解してきちんとこなせるレフェリーがいないのでは話にならない。何とか馴染みのベテランレフェリーの方に泣きついて、近々に迫った大会をクリアしたものの、現場は案の定ルールの運用を巡って大混乱に陥った。

原因の一つにはミーティングの不足があった。

僕も実際にブッキングしてみてから判ったことなのだが、レフェリーという職業の日当は驚く程安い。ここで実際の価格を晒す事はしないが、正直、月に一二回の仕事しか回ってこない状況では、まずプロとして暮らして行く事は不可能なぐらいの額である。だからこそレフェリーは多くの団体を掛け持ちで担当するか、他にジム経営などの本業を持つ事でようやく生きていけるという状況なのである。

そういう方々に、新ルールですから手弁当で事前に何回も集合してルールミーティングをしましょうとお願いするのは不可能に近く、結局イベント前のルール打ち合わせは二回のみだった。

それでもプロである彼らは必死にそのルールをこなそうと努力してくださり、大きな事故はないままで大会を終える事ができた。ただ新しいルールに頭が一杯になってしまったこともあって、逆に通常のレフェリ-ストップの判断に物言いがついたりして、決して万全な運用が出来たとは言いがたい状況で終わった。
やはり選手同様、審判という仕事もフィジカルの反応が勝負の業務であり、肉体が覚えていない事は、瞬時には出来なくなってしまうらしい。

だが、再建事業の方は止まる訳にいかない。
既に次の大会を二ヶ月後に控えていたので、僕は再び援軍を増強することを考えて、とあるベテランレフェリーに相談に行き、審判団に加わる事を打診した。

この方は、僕が話題性のためだけに設定したそのインチキなルールをざっと読み下して、その依頼を快諾してくださった。(実際には、その直後に僕自身別の理由でこのイベント再建事業から離れることになってしまったので、団体は再び通常のMMAルールに戻してイベントを敢行するようになってしまったので、彼の侠気は実現する事は無かったのだが。)

あえて長々と脇道にそれたこんなエピソードを開陳して来たのには、実はこのときベテランレフェリー氏の言ってくれた言葉に、今の多団体時代のレフェリー業の本質が隠れていると感じたからである。

「僕らは毎日毎日違う団体にあがってレフェリーをやるんで、ホントにそのすべてを理解して一言一句ルールブックを暗唱していたりなんてことはできないんです。野球の審判みたいな講習会もないですし。それでもやれるのは試合が何で勝負がつくのか、どうすれば選手は危険にならずに闘えるのか、そういう基本的な事と、その団体のイベンターが求める部分を頭に入れて、現場判断で動いてるからなんです。もちろん特徴になる今回の点数制なんかのチョットした違いは事前に少し意識して覚えなきゃいけないですけど、それだって関節を極める、打撃で倒すっていうフィニッシュは、どんな道筋をたどっても、最後は同じじゃないですか。あとは選手に大きな怪我をさせちゃいけないっていう絶対の条件を守るなら、僕のやる事はそんなに変わったりはしないんですよね。逆に違う所ばっかり意識しすぎて失敗しちゃうのはダメなんです。みんな同じ事をやるためにリングに上がってるわけですから、大丈夫ですよ

まさに本質論である。
逆に今こうやって多団体時代になって、さまざまなルールが乱立していても、ファンも選手も平気でそのすべてを“同じ競技”として楽しめるのは、このレフェリーが言う“どんな道筋をたどっても、最後は同じ”という前提で居るからに他ならないのだ。

僕の設定した点数制にしても、一本決着がつかずに試合時間が終了してしまった場合の判定の点数を、後出しにせずに随時、試合中に観客に見える形で発表しているという変形にすぎないのである。

差異を言わずに、同質な部分にのみ集中するという発想は非常に正しい。
少なくとも、競技者が“どんな道筋をたどっても、最後は同じ”というその精神を、性善説に従って遵守してくれる限りにおいては。



秋山事件なぜストップできなかったか?(7)

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