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秋山事件なぜストップできなかったか?(5)

今年の大晦日、唯一の地上波放映となった『Dynamait!!2006』を舞台に勃発した、秋山vs桜庭の“ヌルヌル”騒動。その大勝負を台無しにした物はいったい何だったのか

執筆者:井田 英登

この件に関しては、既に専門誌に限らず一般マスコミでも多くの報道がなされている。多くの報道は現象面での真実を追うのジャーナリスティックなアプローチに終始していたように思う。既に事件発生から二ヶ月が経った現在、それに付け加えるような新事実は特にない。

だが、僕自身は今回の事件に関して、審判を含む競技運営上の問題があるように思えてならなかった。「いつ」「どこで」「誰が」「何をした」を追うより、「なぜ」この事件が起きてしまったかが気になって仕方が無かったのである。

そこで、前回の結びでの書いた通り――なぜ、あの日試合を裁いた審判団はその不正を事前にストップする事が出来なかったか、「構造的な問題」に特化して分析を進めて行きたいと思う。



そもそもスポーツに限らず、“ルールを設定する”という考えを突き詰めて行くと、最終的に“性悪説”に寄るしかない。人間は他者を出し抜こうとする生き物であり、規範を破ろうとする習性をもっているのだ、と。

したがって、法はありとあらゆる抜け道を想定し、その網の目をくぐり抜けようとする人間の性質を緻密にシミュレーションしていくことになる。六法全書があのように肥大化するのはそのためであるわけだが、それでも犯罪を犯すものは、さらにその裏を掻くイマジネーションを働かせ、脱法の道を突き詰めて行く。技術の革新や世のモラルの変化もあいまって、果てしのないいたちごっこが繰り返される訳だ。

一方、総合格闘技という競技は、勃興からの年月が短かったこともあって、基本発想が“性善説”で進められて来たという部分がある。悪意ある競技者、あるいはMMA自体にリスペクトのない競技者が、功利優先でリングにあがるという発想自体を持ち得えなかった。――イノセントで幸福な十年間あまりであったと言ってもいい。

言い換えれば、ルールブックは未だ“穴だらけ”であると言っても良い。直接的に相手を傷つける攻撃的な競技であるにしては、非常に楽天的な状況であった。いや、むしろそうした危険が伴う競技であるからこそ逆に、競技性からはみ出た部分で“対戦相手を否定する”という邪道な発想を持たないよう思想が育ったのかもしれない。

一種逆説めく話ではあるが、格闘技ほど野蛮から遠い競技もない。不文律として、卑怯な事を嫌う“紳士の対決”の精神がそこにはあったのだと言えよう。

くわえてプロイベントを中心に競技が成立し、進化して来たという、他の一般スポーツにはない特殊な背景もある。利害を別とするプロモーターたちがそれぞれの思惑に従って競技をデザインするのはもちろん、ビジネスとして、見るスポーツとしてのエンターテイメント性を重視してしまっている部分も多い。

――例えば着衣規定ひとつとっても、団体によってはかなりルーズに設定されている事が多い。特に総合格闘技は、直接相手の身体に接触してコントロールする競技であり、着衣は“競技用具”を兼ねる部分が出て来る。

MMAでは「着衣を掴まない」というルールを設定している場合が多いが、一方PRIDEのように一方の競技者が胴衣を着用している場合には『袖車』や『送り襟締め』といった、胴衣自体を“凶器”として使用する技が認めるイベントさえある。“個性優先”といえば聞こえはいいが、正直こんなでたらめな話は無い。

本来なら全競技者の着衣を、柔道やレスリングのように形状限定し、統一する事が望ましいに決まっているのだが、そうした取り決めを行っている団体はほとんどない。逆に選手個々人のルーツとなる基幹競技を観客にアピールするための“記号”として、柔道、空手、キック、レスリングといったコスチュームが混在する状況である。そのキメラ的混沌こそが、総合格闘技の曖昧さ、ルーズさを産んでいるのだ。

極端な話、野球でピッチャーが変わるたびに好きなボールを選ばせているようなものであって、砲丸投げ出身の投手が鉄球を投げたり、サッカー出身の選手がPKよろしくマウンドからサッカーボールを蹴り込んで来る事を許しているにも等しい。

着衣に関しては、秋山事件の本質に直接関わる部分でもあるので、後で一項を設けてきちんと分析するつもりではあるが、とりあえず、我々が普段平然と見ているMMAという競技には、実は競技本意で考えた場合には非常にナンセンスな部分が放置されているのだと言う事を認識しておいていただきたい。

いずれにせよMMA全体を統括するコミッションが存在せず、団体がそれぞれにルールを設定してしまっているという現実は、そうした多くのセキュリティホールを放置する要因にもなってしまっている。

そもそも、基礎となるグランドデザインとして、目突き、噛み付き以外の全ての攻撃を許すブラジル産の“ヴァーリトゥード(なんでもあり)”というルーツがあり、そこにプロレスの企画イベントとして派生した“異種格闘技戦”が野合した形で、日本の総合格闘技イベントは産まれた訳で、スポーツとして系統的に進化して行くのではなく、個々のプロモーターが見せ物として都合のいいパーツを取捨選択をしているにすぎないのだ。そうした“個別進化”が進んだ結果、いかなる現象が起きているかを次章では検証していこう。

秋山事件なぜストップできなかったか?(6)
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