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K-1,PRIDEの引き抜きは許さない!「ボクシング界からの絶縁状」(上)(3ページ目)

ついにボクシング界がPRIDE、K-1からの選手引き抜きに対して、強硬な対抗措置を打ち出した。この流れはボクシングと新興格闘イベントとの「絶縁状」になってしまうのか。

執筆者:井田 英登


辻本会長の意見を要約すれば、「対応の出来ないボクサーをルールの違うリングで餌食にして、“ボクシングに勝った”“王者を倒した”と扇情的な宣伝に使うのは困る」という至極ストレートなもの。

インタビューを読んでいただければ判る通り、会長自体はK-1もPRIDEにもあまり積極的な興味は持っていない模様で、、直接的にボクシング興行の地盤沈下と結びつけて、新興格闘技イベントを敵視しているような節もない。むしろ、全く興味が無いと言った印象を受けた。

“ショバ争い”的なジェラシーが覗くぐらいの方が、ボクシング界活性化の観点からすれば自然なのかもしれないが、意外なほどそんな感情的な反応はないのである。

それどころか、本来こうした大きな施策を取るにあたって、きちんとK-1やPRIDEの現状について調査した形跡もないのである。またルールとしても、現役選手の“転向”に対する措置が甘く、穴の多いザル的な取り決めになってしまっている(逆に選手側の自由意志を縛らないために、穴を大きくした節もあるのだが)。

実はJBCには現役選手の他競技転向に対する、ライセンス発給上のペナルティ措置が既に存在している。かつてこの規定に引っかかって、K1参戦後のライセンス再発給が困難を極めた吉野弘幸選手のような例もある。(後編で詳述)今回の“声明”ではこの現行の“取り決め”との関連性もきちんと詰められていない。

加えて世界規模のランキング認定組織であるWBCは、今年11月に「世界ムエタイ王座制定」(いわばキック推進路線)という大きな“変革”を発表したばかりであり、こうした流れとの整合性を欠いている事は、致命的ですらあるといえよう。そう考えてくると、この「通達」自体は、拙速であり、調査不足のそしりを受けても仕方があるまい。

ただ、今この時期に「ボクシング界」が、新興格闘技イベントによる“引き抜き事件”に対して、安易な妥協を示す気はないという“姿勢”を打ち出したことは、決して無意味ではない。

二人の“元”世界王者のK-1デビューは、是か非か


今回の「声明」の直接的な引き金となったと考えられるのは、今年10月に行われた「K-1 MAX世界王者対抗戦2005」で、K-1デビューした二人のボクサーの敗戦であろう。

その二人とは、元日本ミドル級王者の鈴木悟、元日本スーパーウェルター級王者の大東旭。彼らの参戦は、全く唐突であった為、決して大きな話題になったとは言い難い。特に前奏曲にあたるような経過もないまま大会直前に発表され、いきなりこの大会の謳い文句である“世界王者対抗戦”へと組み込まれてしまった為、本来あって然るべき反響を得る事がないまま終わってしまっている。

そもそも、鈴木は6月に王座防衛に失敗して、8月にコミッションにライセンス返上を申し出たてボクシング引退をしたばかりの選手。年齢的にはまだ現役バリバリだが、実質キックを練習したのはそれからの三ヶ月かそこらだというから、正直この無謀さには呆れてしまう。一体ゴーを出したのが誰かは知らないが、無茶にも程がある。

また、大東に至っては99年に王座を返上※しており、2003年には現役を引退している身。柔道出身の秋山成勲にパンチ技術を伝授するトレーナーに就任したのを機に、3月からキックを始めたという。こちらもキック歴は半年足らず。35歳という年齢から言っても、K-1MAXのトップ選手と闘うというマッチメイクは、無茶苦茶な話だったのである。

そんな二人を、事もあろうにトップファイターであるアルバート・クラウスとマイク・ザンビディスにまみえさせた谷川プロデューサーの意図は、不明というよりボクシングの権威失墜だけを狙う悪意を感じてしまう。百歩譲って、ボクシング界に対する含みは無いとしても、所詮“王者対抗戦”という大会コンセプトに帳尻を合わせるだけのカードであり、辻本会長が指摘するように「元王者に過ぎない(K-1的に言えばルーキーでしかない)者」をトップ選手と闘わせて「ボクシング王者敗れる」と喧伝してしまうのは、詐欺行為と言われても仕方あるまい。

事実、二人は揃って2R序盤に不慣れなローキックの嵐にあえなく陥落している。辻本会長が「元ボクサーが惨めな姿を晒すのは見るに忍びない」とする気持ちは判らなくはない。

この大会に参戦するにあたって鈴木悟は「両コブシだけで戦えばK-1の選手に負けないですけど、K-1ルールは全く別物と考えています。ボクサーとしてK-1に上がるつもりは無いから“転向”とは違います。K-1選手としてK-1のリングに上がります」と熱意を語っており、個人レベルではその意気を買いたい気もするが、その気持ちに答えるべき肝心のプロモーターが、彼の「ボクサーとして」の経歴にしか興味が無いという状況では、せっかくの熱意も空転するばかりであろう。

言葉面こそ強硬なものの、むしろ選手の自由意志に気遣いしながら、おずおずと差し出された感のある西日本ボクシング協会の“鎖国策”の方がまだ救いがあるように感じてしまうのは、そんなK-1側の無茶な“選手使い”を目の当たりにしてしいまっているからであろうか。

なにしろK-1はプロモーター/運営会社が一体になっている組織であり、競技性を司るコミッション組織も存在しない、いわばプロモーターの“絶対王権”で統制されている。ジムの共同体が寄り合い所帯で運営し、コミッションと協会が権力を分かち合うボクシング界とは、選手に対する強制力が全く違う。無論ボクシング界には選手とジム、そしてプロモーターとジムの間に、ボクシング界の特有の“ひずみ構造”を持っているにせよ、競技運営体としては後者の方が遥かにリベラルであると言えるだろう。

あくまでボクシングサイドの念頭にあるのは、ボクシング界からの人材流出に対する素朴な懸念であり、「ボクシング」という既成の大看板を物差しに使う事で、新興格闘技のイベンター達が“アイデンティティ確立”しようとする動きにへの“困惑”ではなかっただろうか。

取材を進めて行くにつれて、この問題は、経済優先で近代化を徹底した新興格闘イベントと、競技性という“理想主義”に捕われてファンのニーズに必ずしも応えきれていないボクシング界との「構造摩擦」問題ではないのか、という気がして来た。


※大東選手の「王座返上」について、初稿発表時の調査不足により「王座陥落」と誤った事実をお伝えしておりました。修正の上お詫びします。

【後編】“吉野事件”とK-1ジャパンリーグの時代
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