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“Uの申し子”を救った、桜庭の共闘

その後、大きく存在感を増した田村を無視する事は出来ず、Uインターでは田村の“現場復帰”を許さざるをえなくなる。当時Uインターは、新日本との対抗戦にくわえて、灰汁の強いお笑いファイトで旧来のプロレス枠の中で人気を獲りつつあった安生洋ニや、それに従った高山善廣や山本健一らのユニット“ゴールデンカップス”をフィーチャーする動きに傾いていた。いわば、なし崩しの“旧プロ回帰”で生き残りを計っていたのだ。

そんな興行の中に、UWFのストイックなスタイルにこだわる田村の居場所はほとんど皆無であった。孤立する田村は、一種のアンタッチャブル的な存在となってしまったわけだが、この時対戦相手として田村が指名し、また自らも手を挙げたのが、デビュー一年に足らない桜庭和志であったのである。

中央大学レスリング部出身で技術志向の高かった反面、新日本との対抗戦に駆り出されれば長州力の必殺技サソリ固めを繰り出すなど、柔軟なプロレスマインドを見せた桜庭は、新人ながら既に注目を浴びる存在であった。その桜庭の素質に目をつけた安生などは、早速ゴールデンカップス加入を要求したわけだが、桜庭の選んだのは、田村との“純UWF対決”であった。

1996年3月から5月の短期間に、田村vs桜庭のカードは三試合続く。(正確には、4月に田村vsビリー・スコット戦を挟む)。田村と桜庭がこの時繰り広げた、“原UWF的” 攻防は、当時のインターのムードと全くかけ離れたものとして、第一試合の前座的扱いに甘んじていたが、緊迫の極地であった年末のVT戦とは打って変わってのびのびと“Uスタイル”の流れるような技の攻防に、歓喜するような両者の攻防が見られ、ファンはその姿に歓声を送った。

またこの三連戦で特筆すべきは、、周囲の流れから浮き上がることを一切恐れず「田村さんと戦うのは面白いですから」と飄々とこの難役をこなした桜庭の存在であろう。格からいってもUWF的実力からいっても、全く勝ち目のない田村の引き立て役に徹し、同じイズムを背負う事を暗に表明した桜庭に、田村も同志として親愛の情を抱いたに違いない。

5月27日大会でも第一試合で桜庭を、飛びつき腕十字に切って落とした田村は、Uファイターの象徴とも言えるキックレガースをリング上で脱ぎ捨て、客席に投げ込むという“奇行”を見せる。折にふれ田村という選手は、こうした不思議な「謎掛け」を行ったあと、後にその意味が判明するという、面白い習慣をもった選手だが、この時のアピールが実はライバル団体でもあったRINGSへの移籍表明であったことを、後にファンは知る事になる。