“神の手反則”なのか、それともノーコンテストか?
かつてPRIDEでは、桜庭和志とニーノ・エルビス・シェンブリの初対戦で、試合中に発生したバッティングを反則裁定を下さなかった過去がある。(この試合の再戦が同大会の第一試合として行われていたのも、何か皮肉というか、不思議な因縁を感じる。)この件に関して、僕はむしろその直前にモンゴリアンチョップという“遊び技”を繰りだした桜庭のミスであるという視点に立っており、“反則勝ち”を主張して桜庭を擁護した一部マスコミの論調に対して「桜庭の反則勝ちではない」という論陣を張った。その時の主張はこうだ。
かように、ニーノの反則は「どちらが勝機を掴んでいたか」で判定すべき内容だと僕は感じた。そこまでの展開で九割試合を支配していたのは確かに桜庭だが、ゴール前でシュートすべき瞬間にパフォーマンスに走ってボールを失ったのは誰か? 格闘技とはそうした「際の際」を争う紙一重のゲームであることを考えれば、やはりこの勝利はニーノのものであると僕は思う。
だが、同じヘッドバットの反則でも、今回のケースはまた逆だ。
今回、ゴール前でボールを蹴り込もうとしていたのは、あくまでアローナであり、ランペイジではない。上に挙げたマラドーナのプレーにならって言うなら、ゴール前に攻め込んだマラドーナの頭に、キーパーがヘッドバットを見舞ってボールを奪ったようなものではないだろうか。
それが故意であろうがなかろうが、試合の流れに沿わない反則を“流し”で処理してしまっていいのかという点を問うべきだろう。【「際の際」を争う紙一重のゲーム】という視点から言っても、パワーボムを受け身で凌いで、最後の切り返しを狙っていたアローナの“優位”を無視は出来ない気がする。
悲しいかな当事者のアローナならびにブラジリアントップチームからも抗議の声はあがっておらず、裁定が覆る気配は全く無い。アローナ自身は失神直後の事でもあり、恐らく最後の頭突きの瞬間の事など覚えてはいまい。アローナの容態が最大の関心事だったであろうセコンド陣も、ランペイジの額の傷の意味に想像力を働かせる精神状態ではなかったのは容易に想像が付く。
ただ、疑問なのは試合直後に至近距離でランペイジの額の流血をチェックしたはずのドクターや審判団が、一切その状況の不自然さを指摘していないことである。瞬間の判断の誤りなら、まあ誰にでもあることだが、仮にも格闘技の専門家である彼らが、試合後の数分で、この“事故”の性質に気づかないとはとても思えないのだ。“神のヘッドバット”を産んだの背景に「会場は一発逆転で盛り上がったんだから、誰も文句が無いなら水差さなくてもイイじゃん?」といった気分が横たわっているとしたら、そんな情けないことはない。
ましてこの一戦は団体の象徴であるタイトルの行方を決める分岐点だったわけで、この結果が公式記録として独り歩きしていくのは非常に残念であると思う。現在格闘技界のリードオフマンとして君臨する立場のPRIDEだけに、こうした一見些細な競技面の問題にも神経を行き渡らせた、観客に真のカタルシスを提供する舞台となって欲しいものだ。