■バブル人気に乗じた、競技軽視主義にはNOを
正直言って、この分裂劇はTVの前のファンに益するところはあまりない。放送時間の重なり合った地上波放送では、ビデオを三台持っている猛者でもないかぎり、チャンネルを変えながらのザッピング観戦しかできないのである。好きな選手の対戦を見損なったら、後のフォローと言うものが殆どできない状況で、多くのファンが悲鳴を上げてしまっている。
会場に足を運ぶつもりのファンにしても、年末年始のあわただしい時期に、カード未確定では、チケットを買うのも危険な賭けになってしまう。現在もなお続いている選手の引き抜き合戦のために、いつどの選手が欠場になってしまうかわからないからだ。
まったくもって迷惑極まりない状況であり、ずばり言えばバカらしい。取材する側である僕らにしても、各地に人員を投入せねばならず、手も足りないしお金もかかる。どうにも頭の痛い状況なだ。
こういう形で、格闘技にビジネスとしての注目が集まり、市場に資本が入ってくるのは決して悪いことではない。だが、あくまで格闘技ビジネスがこれから目指していかねばならないのは、スポーツとしての充実だと僕は考えている。
選手の特異なキャラクター性を強調したり、演出の面白さ、ストーリー付けなどの“人工調味料”をひたすら振り掛けて、ごてごてした見世物路線を推し進めるのが「格闘技のメジャー化」であると勘違いしているイベンターが資本に物を言わせて、このブームを“消費”し尽くしてしまうのであれば、このブームは長くないだろう。
我々が思う以上に、お茶の間の評価はシビアである。幾ら派手に飾り立てても、肝心の試合がくだらない内容しかなく、スポーツとしての面白さを提供できなければ、せっかく盛り上がった格闘技ブームは、一気に火が消えてしまうに違いない。石井館長が運営していた初期のK-1の魅力はやはり明快なルール設定の中で、アスリートが目一杯技量を争うスポーツとしての面白さだったし、それがファンの心を捕らえたのではなかっただろうか。
何が起こるかわからないという、あのハラハラドキドキ感があってこそ、心に残る名勝負が生まれる。今のビッグイベント中心主義は、選手がこれまで地道に積み重ねてきたネームバリューを、大金で買いあさって一晩で消費するような、ファン不在の“焼き畑農業”ビジネスになってしまっている気がする。今回の三団体の興行戦争は、その極端な“ショービジネス化”の象徴に思えてならない。
そうしたビジネス至上主義のイベンターやTV局は、格闘技自体には何の執着も無いだろうし、また別の儲かりそうなトピックスがみつかれば、そっちに飛びついていくに違いない。そうなれば、今格闘技界を潤している資本もさっさと引き上げてしまうわけで、“格闘技ブームなんか一過性のバブルだったのだよ”と言われて捨て去られてしまうのである。このまま行けば、来年の大晦日は1つの大会中継もなくなってしまうのではないかと、今から懸念されてならない。
そうなってしまったら、一番むなしい思いをするのはファンであり、必死に身を削って戦う選手なのだということを忘れてはいけない。今回、大晦日のテレビ観戦を決め込んでいるファンの皆さんも多いとは思うが、三つのチャンネルを切り替えるとき、どのイベンターが、今後も長く格闘技をスポーツとして根付かせようと考えているか、比較しながら見てみるのもいいかもしれない。時にあまりにひどい内容でしかないと感じたなら、だらだらと試合を見続けるのではなく、チャンネルを紅白歌合戦に切り替えてしまうのも、格闘技ファンとしての1つの意志表示なのだ。
閑話休題。とりあえず、次々と各陣営が打ち出している参加選手やイベント自体の展望といった“中身”の話は、個々に稿を分けて分析していくことにして、まずは何故こんな奇妙な分裂劇が生じたのかを、追っていくことにしよう。