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K-1戦士の仮面の下に隠された挫折と苦悩 「アンディ:孤独な放浪者」(5ページ目)

アンディ・フグの衝撃の死から三年。命日の8月24日を前に、あの「鉄人」の強靱な肉体に隠された、繊細で傷つきやすい魂を説き明かす。未だ知られざるアンディ像に迫る魂の物語。

執筆者:井田 英登

はなぜ、そんなゾンビのような復活劇を何回も何回も演じることが出来たのだろうか? 

それの答えは、やはりこの原稿の最初に述べた通り、彼の幼年期の成育環境に求めることが出来る気がする。何度も繰り返すようだが、普通の人間が水や空気のようにあたりまえに享受する、家庭のぬくもりも安定も、最初からアンディの人生にはなかった。真っ黒な欠落の穴ぼこを心に抱えて育ち、常にそれを埋めること=彼の人生であった。だからこそ、アンディは何度栄光を失っても立ち上がることが出来たのではないかと思うのだ。

失ったものを嘆き悲しんでも、誰もそれを贖ってはくれない。自らの力で取り返し、そして這い上がる以外ない。その強靱な精神は、他人目には驚異的なものに映るかもしれないが、アンディはそれ以外の生き方を知らないのである。喪失と奪回の無限ループに捕らえられながら、その永遠とも思える運命に正面から立ち向かった男。それがアンディ・フグという人であった。


■永遠の放浪者■

「いつも私は極真で彼は正道の選手だ、とか言うのはおかしいと思う。私はいまK-1で戦っていて、私は空手家なのです。それが1番大事なことです」


ンディの選手生活が、転落と失地回復の連続であることは前章でも述べた通りだが、96年K-1 GP優勝という最高の栄誉を得てもなお、その復讐を終えていなかった選手が二人いた。佐竹雅明とフランシスコ・フィリォの二人である。アンディは空手時代に、この二人にそれぞれ理不尽な敗北を喫しているのだ。当然、キャリアの頂点に立ったアンディが、次なるリベンジの標的として付け狙うのは、当然その二人ということになる。

1993年K-1旗揚げの年、正道会館に所属を移していたアンディは、カラテワールドカップ'93に参戦。昨年に続く連続優勝で空手キャリアを締めくくり、いよいよK-1に歩を進めようとしている直前のことであった。決勝戦で佐竹雅明との頂上対決に挑んだアンディは、延長戦で初のグローブマッチにもかかわらず佐竹を圧倒。文句なしの優勝かとみえたこの一戦に、なんと引き分け判定がついてしまったのである。さらに続いて行われた試し割り判定では、体重を乗せて最後の数枚を押し割った佐竹が上回り、逆転優勝を飾る大ドンデン返しが待っていたのだ。涙に暮れるアンディの非運のヒーローぶりが、またもや格闘技雑誌を飾った。

だが96年シーズンを無敗で突っ走りアンディがK-1の頂点に立ったころ、佐竹はグローブ転向以降頭に溜まったダメージの蓄積で長期休場を余儀なくされていた。その復帰戦の相手にアンディが指名されたとき、佐竹はすかさずこんな言葉でこの一戦の意義を言い表してみせた。

「アンディはもともと極真の出身で、自分は正道会館の生き抜きやから。正道のスピリットを持って、それを証明するために戦う」 と。これは明らかに、この一戦が93年のカラテワールドカップでの闘いの再戦であり、アンディにとって忘れることの出来ないあの結果を再現して見せてやるという宣言でもあった。

対するアンディの言葉はこうだ。

「彼は1度そのスピリットを失っています。今になって“それを見せたい”というのはどうでしょう? 自分に言い聞かせるという意味での効果はあるでしょうが。でも1度失ってしまったものは、再び戻ってくるのか解りません。それに、私が極真で、彼が正道の選手だ、とか言うのはおかしいと思う。私はいまK-1で戦っていて私は空手家なのです。それが1番大事なことです」

常に集団に属することを嫌い、個としての自分を最優先させてきたアンディだからこそ吐けたセリフかもしれない。石井館長の庇護の元、長期欠場をも許容され大事にかばわれてきた佐竹と、己の腕一本でどん底から這い上がってきた自分の違いを見せてやる。そして何よりどこにも属さず、どこにも「家」を持たない“放浪者”の、孤独と矜持が同時に浮かび上がってくるセリフだと僕は思う。

のような舌戦を経て実現した、因縁のこの闘いは両者の立ち位置の違いが明快に浮かび上がった試合展開となった。このころ、かなりカウンタータイプとなっていたアンディが、珍しく闘気を前面に出して自ら打って出ていたのに対し、佐竹はキレの悪い単発攻撃に終始した。やる気があるのかないのかズルズルと派気のない動きを繰り返す佐竹に対して、アンディは珍しくノーガードで顔面を突きだし、ココを殴ってみろとばかりに挑発する始末。両手を上げ、何事か大声をあげるシーンも見られる。その姿には、かつてのストリートファイターで鳴らした時代のアンディの片りんを見た気がする。

実際、3年前の屈辱を晴らすべく、アンディは喧嘩の覚悟でこの一戦に臨んでいたに違いない。ブーイングの飛び交う中、5Rを終えた結果はアンディの判定勝ち。佐竹の虎の子であったWKA世界ムエタイスーパーへビー級のベルトがアンディの手に渡ったとき、初めて幻の93年のカラテワールドカップの決勝戦がここで完結したのかもしれない。
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