■透徹した個人主義と驕慢
「基礎や型のトレーニングは少なくていい。なにより打撃トレーニング、組み手、それにたくさんのスパーリングを繰り返すことが重要だ」
実際、アンディの練習方法は、通常のセオリーを越えた非常識すらもを取り込んだものになっていく。なんと街の喧嘩屋として知られた荒くれ者達を道場に招き、防具を着けさせたうえで、好きに掛ってこさせて、これを撃退するという練習を繰り返していたというのである。必殺技として一世を風靡したかかと落としも、こうした非常識きわまりない「実戦」の中から、敵の意表を突いて攻撃を繰りだす手段の一つとして編み出されたものだったという。
まさに、サッカーという集団プレーに馴染めなかった男の、孤独な格闘漂流にふさわしいエピソードかもしれない。
後にアンディの存在が世界に知れ渡るきっかけとなった1987年の極真世界大会で、決勝まで勝ち上がったアンディは、“我流”ゆえの破天荒な組み手を展開して、関係者の度肝をぬいた。それまでの極真の組み手といえば、ひたすら根性論で突進し、お互いに一歩も引かずに正面激突を繰り返す「相撲空手」であった。だが、このときのアンディはフットワークを駆使した組み手で変幻自在に動き回り、相手のリズムを崩す華麗な蹴りのコンビネーションなど、それまでの極真のセオリーにない自由な動きで並み居る強豪を翻弄したのだった。
こうして空手という「武器」を身に付け、誰にも負けないという自信を得たアンディだったが、同時にそれは驕慢(きょうまん)との闘いの始まりでもあった。
よくアンディを「鉄人」と呼び、ストイックな武道一筋の男のように祭り上げる傾向があるが、彼をよく知る人々は一様に、生身のアンディ・フグと言う人はけっしてそんな人間離れした人では無かったという。後年、アンディがK-1参戦を果たすために沖縄でキャンプを張った頃、そのスパーリングパートナーを務めた宮本正明はこう言う。
「アイツは人一倍見えっ張りで、臆病でもあったんです。試合の前になると緊張して夜も眠れない。練習でも、ランニングする前にガブガブ水を飲んで、最初にへばったりする。それでもゲップゲップいいながら、最後まで走り通す。自分がエエ格好した分、意地だけは体を張って貫く。それがアイツやったんです」
十代の空手修行時代でも、決して品行方正であったわけではない。一時期は、身に付けた力を笠に着て、ストリートで不良少年のまね事をやっていたころもあったという。己の力しか信じない人間は、時にこうして力に溺れ、そして道を見失いがちである。特にアンディという人は、他人にたやすく己の内面の脆さ、危うさをのぞかせる人ではなかった。それだけに見栄を張り、必要以上に自分を強く見せようとする傾向もあったにちがいない。