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至近距離から見た、幻のUFC王者の流転の一年 「ジョシュ君のこと」(1)(4ページ目)

史上最年少のUFC王者の栄光をドーピング疑惑で奪われ、未経験のプロレス界に身を投じたジョシュ・バーネット。はからずも僕の至近距離で繰り広げられた一年間の苦闘をお話しよう。

執筆者:井田 英登

から、試合後、盟友サップの負けた直後だというのに、ちゃっかりリングに上がり、勝者ノゲイラに対して「オマエハスデニシンデイル」とマイクアピールしたときはさすがに驚いた。日本通のジョシュのことだから、てっきりプロレスビデオの受け売りでやったことかと思ったが、後で聞いてみると、どうも運営スタッフからの入れ知恵でやったらしい。
 このアピールをさせてみることで、プロモーター側はジョシュの日本市場での商品価値を図ろうとしたのかもしれない。もしそれでマスコミが騒いだり、ファンが反応していたら、K-1やPRIDEの勢力圏外である猪木祭りあたりでのジョシュの起用もあったかもしれない。だが、世論は「UFC王者vsPRIDE王者の対決か!」とは騒いではくれなかった。なにより日本のファンもマスコミも、ジョシュの存在を知らなさすぎたのだ。

 では世間の目はどこを向いていたかといえば、PRIDE王者と互角以上の戦いを繰り広げたサップに注がれていたのである。ジョシュのアピールはサップ人気の前に「そんなこともあったな」程度で、すっかり霞んでしまった。逆に、ジョシュは日本での格闘家としてのヴァリューの無さを露呈して、墓穴を掘った形になってしまったのかもしれない。

 しかし、根っからのポジティブヤンキー、ジョシュくんはそれでも決してくじけなかった。

 彼にはまだ二つの就職先が残されていた。
 一つは、9月の頭に有明コロシアムで大規模な大会を開催するDEEP2001。この二年、準メジャー級プロモーションとして、PRIDEに次ぐ規模の興行を行ってきた綜合格闘技のセカンドランナーにジョシュは目をつけていたのだった。
 
 ましてこの大会には友人の高阪や、シアトル時代ジョシュがビデオで観戦して夢中になったというUWFインターの遺児である田村潔司がメインを張る大会である。海外進出をまったく考えていないDEEPならば、ネバダコミッションの規制を受けることもない。まさに、頼みの綱として、ジョシュはDEEPとその主催者佐伯代表に期待を掛けていたのだった。

 (この項続く)
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