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至近距離から見た、幻のUFC王者の流転の一年 「ジョシュ君のこと」(1)(3ページ目)

史上最年少のUFC王者の栄光をドーピング疑惑で奪われ、未経験のプロレス界に身を投じたジョシュ・バーネット。はからずも僕の至近距離で繰り広げられた一年間の苦闘をお話しよう。

執筆者:井田 英登

っして頑なと言うのではない。それだけは彼の名誉のために言っておこう。

 ただ、彼はDo it myselfの人なのだ。そのころ彼の定宿になっていた新宿のホテルから、アメリカでの練習仲間だった高阪TK剛のジムに移動するのでも、ジョシュは決してタクシーを使おうとしない。日本にやってきて手に入れた地下鉄マップとプリペイドカードを片手に、ニホンジンでもちょっと迷いそうな東京の地下鉄に平気で乗ったりしてしまう。

 ただその目的地に、実はまだ一度も行ったことがないと聞いて、僕はおせっかいで道案内を買って出ることになった。だが、ジョシュはこっちの心配など知らぬ顔で「これが格闘技を始めてよかったことの一つさ。ついこないだまで知らなかった街に、選手だということで呼んでもらえる。僕が戦い続けていれば、いつかアフリカにだってフランスにだっていけるかもしれない。僕はずっとそういう生活に憧れてきたんだ。どんな知らない場所に行っても僕はすぐそこをホームタウンに出来る男だよ。日本語だって一年でちゃんとしゃべれるようになって見せる」そんなことを目を輝かせてまくしたてる身長190センチの大男を見上げながら、僕は吹きだしそうになった。なにしろ彼が知っている日本語と言えば、「メッチャスゴイ」「ブッコロス」「オレニサワルトアブナイゼ」といった一般会話とはかけ離れたものばかりだったからだ(主にお行儀の悪い言葉は、全部エンセン井上という“先生”が教え込んだものだったらしいが)。

 良く言えば無邪気で一直線。悪く言えば自信家で怖いもの知らず。物事は誰の力も借りず、全力で正面突破していくしかないと信じる理想主義者。それが24歳という若さ故なのか、あるいはアメリカ人特有の自主独立の国民性なのか、僕にはわからない。ただ、スポーツ選手はやはり試合をしてナンボの稼業。自分で帳簿もそろばんもというやり方はそぐわない稼業だと思う。トップアスリートがそんな裏方の苦労までするべきではないというのが、僕の率直な意見だった。せめて師匠であるマット・ヒュームにブッキングを頼めばいいのにという気もしたが、事情を聞くのもはばかられたので、結局今もその辺の事情は知らないままだ。

 結局、Dynamite !本番にはジョシュの出番はなく、宮本正明とともにサップのセコンドにつくことになった。僕は、それでいいと思った。彼が望む待遇はDynamite !では準備されそうになかったからだ。あくまで、この大会は桜庭、ミルコ、吉田、ホイス、サップ、ノゲイラが顔を揃えた、日本の格闘技史上最大のオールスター戦である。そこに日本ではぽっと出でしかないジョシュが加わっても、大きなインパクトは残せないだろう。ならば今回は見送って、自分がメインを勤められる舞台を見つけたほうが、何百倍も彼のためになると思ったからだ。
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