オリックス・バファローズを自由契約となり、その後他球団からの正式なオファーもなく「浪人生活」を過ごす、中村紀洋。なぜ彼がこのような状態になってしまったのか、契約更改の裏にあった彼の「事情」を探る。
はじめに
中村紀洋を巡る契約問題・行き先問題に関しては、ストーブリーグの格好の話題となったせいもあり、私のところにもいくつかの問い合わせが来た。主なものは海外移籍に関することで、平たく言えば「中村を獲る国、リーグはあるか」という話だ。その件に関しては後述するとして、他にもいわゆる「番記者的な取材」が必要な話に関しての観測を求められたが、これに関して私が知り得ないことは全くわからない。こちらの方を平たく言えば、「中村を獲得しない密約」とかそういった類のことだ。
そんな流れもあって、私も中村がなぜここに至ったのかや、また今後の去就に関心を持った。いろいろな情報を総合していくと、中村とオリックスの「ボタンのかけ違い」は、中村側の事情による金銭問題に由来するだろうということが露呈してきた。直感的にそう捉えられやすい問題ではあるが、悲しいかなそこがやはりこの問題のコアであるという感触を得たのだ。では、順を追って話を述べていこう。
2006シーズンの中村
2006年シーズンの中村は、負傷続きであった。まず、開幕前に右足に肉離れを起こした。開幕には間に合い、スタメンに名を連ねる日々が続いたものの、成績の方は故障の影響もあってか奮わなかった。4月28日、5号ホームランを放った試合で左手親指を負傷する。ここまでの成績は打率が.171と2割にも満たない。清原・中村の加入という二枚看板の加入で打線強化を目論んでいたオリックスだったが、早くもパ・リーグの首位戦線から脱落してしまう。
その後中村は5月13日に左手首に死球を受ける。その後も欠場を挟んで試合には出るものの、この日から9連敗するチーム状態とともに中村も苦難の日々が続く。5月に入ってからは4番に座っており、月間打率も4割近くまで調子を上げてきただけに、この死球が与えた影響は大きい。
結局、この左手首をかばっているうちに右手首も痛めた中村だが、最終的なダメージはやはり死球によってもたらされる。8月11日の対ソフトバンク戦9回、斉藤和巳から左ヒジに死球を受けたのを最後に、2006シーズンの出場機会がなくなる。
そして中村は2006年のシーズンオフに左手首を手術し、契約更改へと臨むことになる。2006年の最終成績は、85試合出場で打率.232、ホームラン12本、打点45と不本意なものだった。
【契約更改交渉の経緯】→