選手の亡命による戦力低下が続くキューバ
続いて、野球大国ではあるキューバが近年、戦力の流出と低下に苦しんでいる事情を述べていこう。アメリカによる経済封鎖が続くキューバは、いわゆる冷戦後、特にソ連崩壊以降は経済的に苦しい状況が続いている。
野球選手ももちろん例外ではない。先に述べた給与事情の通り、国内的にはやや優遇されているものの、ひとたびメジャーリーグに渡れば億単位の金を手にすることのできるプレーヤーも輩出するレベルだ。当然プレーヤー自身もその事情を知っている。キューバ国内においては、メジャーリーグの情報は普通に伝わる環境下にあり、国内のプレーヤーはメジャーリーガーに憧れを抱いている。WBCの日本戦後も、キューバのプレーヤーがメジャーのトップスターであるイチローと記念写真を撮っていたのが印象深い。
そこで、一部のトッププレーヤーは亡命し、メジャーリーグ入りを企てる。近年の有名どころでは、後にヤンキース入り(現ホワイトソックス)したキューバ代表のエース、ホセ・コントレラスがメキシコ遠征中にコーチらと亡命したことだろう。コントレラスに前後して、選手亡命は後を絶たず、中にはメキシコやフロリダ目がけて、簡素なイカダで命がけの脱出を計る選手もいた。
キューバ野球の全盛期
キューバ野球の戦力的な全盛期は、90年代までだったかもしれない。後に中日ドラゴンズ入りしたリナレスが、キューバ代表の中軸だった時代だ。もちろん当時は他国のプロ選手が参加した試合にキューバが出場することはなかったので、現在との比較は困難なのだが、リナレス・キンデラン・パチェコなどのタレントが揃っており、また大物選手の流出も少なく、現状戦力に比べると特に投手面で上回っている印象がある。
そしてリナレスらが一線を退き、世代交代の時期に選手流出が重なったため、キューバ球界は一時期ほどの強さがなくなった。その象徴が2000年シドニー五輪での銀メダルである。シドニーでは、アメリカのマイナー軍団を相手に敗北を喫してしまったのだ。
その後、キューバ代表は特に打線面において世代交代が進み、2004年アテネ五輪では見事金メダルを奪回した。しかし、投手力という面では往年よりも何枚かコマ数の欠けた状態は続いていた。実際問題、アテネ五輪ではプロの参加した日本・カナダよりも個々の戦力的な和で見た場合、キューバにアドバンテージはなかった。それでも金メダルを獲得してしまう「野球のうまさ」がキューバにはあるのだ。そしてこの金メダル奪回の原動力は、キューバ代表チームの指揮を執るイギニオ・ベレス監督の手腕と言ってもいいだろう。
キューバ監督の「ベレス・マジック」
キューバの代表監督を長く務めるベレス氏には、選手経験がない。今回のWBCでも2次リーグの最終戦で、審判の判定に猛烈な抗議をして退場処分になるなどエキサイティングな一面も持ち合わせているが、普段の怜悧な采配は、私から見れば「ベレス・マジック」とも呼べる独特な野球観を持っている。
そのベレス・マジックと、日本も学ぶべきキューバ野球の特徴を語っていこう。
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