最悪の選択、『長嶋なき長嶋ジャパン』
6月1日、私は「長嶋なき長嶋ジャパン」という記事を発表した。当時最悪のシナリオを想定して書いたつもりだったのだが、実際にその通りになってしまった。長嶋の代理監督を誰も擁立できないこと、中畑ヘッドコーチが代理監督に就任するでもなく監督不在のまま本戦に臨むということ(結果的には中畑が監督でコーチが一人不在)、またギリギリまで長嶋登場のシナリオを引っ張ったものの、脳梗塞患者に対する当然の危惧-飛行機での長距離移動や高温など-によりドクターストップがかかったことなど、後任選考をも含めた監督人事において、全日本野球会議の日本代表編成委員会(長船騏郎委員長)はまるで無策ぶりを発揮したのだ。今の日本球界を象徴するようなエピソードである。また、ファンや世論からも代理監督を擁立しようという動きが喚起されない上、そういう論議すら控えられてしまうあたりも、非常にもどかしいところだ。なぜ長嶋茂雄だったのか
長嶋茂雄本人がオリンピックなるものに深い愛着と因縁を感じており、また人気者であることでスポンサーとの利害が一致したからである。また既にプロ野球現役監督を退いてはいるが、監督経験者であること、選手選考に対しても影響力を発揮できること、というのも当たり前のようだが重要な要素だ。それ以上でもそれ以下でもないのだが、ひとたび長嶋が監督をやると言った以上、その監督選考に対して代案がなくなったり、また万一のための代案を用意しようという状況さえ許されなくなってしまうのだ。それに関しては、長嶋茂雄が長嶋茂雄だったから、という以外言いようはない。長嶋健在でも、長嶋監督が良かったか
総合的に見て、長嶋が元気ならば長嶋監督でアテネ五輪に臨むことに異論はない。筋論として2点考えられる。一つは、日本を代表する監督(経験者)で、それなりの格があり、どのような結果が出たとしても責任を負えるということだ。良い結果であれば言うことはなく、悪い結果だったとしても責任の所在が明白であることが重要だからだ。長嶋で良い結果であれば、野球界と野球人気を盛り返すことができるし、悪い結果ならば、もう長嶋という物語と文脈は過去のものであるということを世間一般に周知することができ、どちらに転んだとしても、球界にはメリットがあるからだ。そしてもう一つは、長嶋監督下のアジア予選で3戦全勝という結果を残していることだ。勝負事なので、結果を出している監督を変える筋はないのだ。
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