野村克也前監督が去り、前中日監督の星野仙一氏を迎えることとなった阪神タイガース阪神タイガース。「ネバー・ネバー・ネバー・サレンダー」(決して屈服しない、最後まであきらめない)を目標に掲げ2002年を迎えたタイガースですが、はたして猛虎復活はなるのでしょうか?答えですがズバリ「ある」と思います。その根拠となるのが星野監督の監督就任1年目におけるマジックです。
初めて監督に就任した1987年には前年度54勝67敗借金13だったチームを68勝51敗の貯金17、リーグ2位にまで引き上げ、チーム打率も前年比2分3厘増の2割6分5厘と向上させています。また第2次政権となった1996年には前年度50勝80敗借金30のチームを、72勝58敗貯金14とこれまたリーグ2位。チーム打率は2分7厘増の2割7分8厘にまで押し上げています。
もちろん偶然チームの成績が向上したとも考えられますが、そこに何らかの根拠がないかと探ってみると、大きく次のような2点がチーム躍進の理由として出てきます。
?トレード、新入団選手の活躍
トレードなど戦力補強に積極的な星野監督ですが、新入団選手が初年度からチームに貢献していることがわかります。
第1次政権の1987年にはロッテで3冠王を獲得した強打者落合博満選手を、当時のストッパー牛島和彦投手、セカンドのレギュラー上川誠二内野手など1対4のトレードで獲得。落合選手は不動の4番打者としてチームに貢献します。
1996年の第2次政権では新外国人コールズ内野手が打率3割2厘29本塁打、広島から獲得した音重鎮外野手を5番打者として起用、新人の門倉健投手が7勝をマークするなど、監督就任初年度の新戦力が成功しています。
?選手の予期せぬ復活、活躍
これも監督就任初年度に多く見られます。
1987年には前年度7勝9敗と不振に陥った小松辰雄投手が、17勝6敗と見事に返り咲きチームをAクラス入りさせる原動力となります。打線でも宇野勝内野手が前年度打率2割1分1厘10本塁打から、打率2割7分30本塁打と著しい復活を遂げました。1996年度では前年度まで30本塁打の壁を敗れなかった大豊泰昭内野手(現中日)が打順降格(3番→7番)の効果もあってか打率2割9分4厘38本塁打、山崎武司外野手(現中日)もレギュラーを獲得し打率3割2分2厘39本塁打でホームラン王に輝くなど、選手の能力を全開にまで引き出すことができたようです。