その掲載された主な内容は
?「野球という遊戯は悪く言えば巾着きりの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れようベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが英人や独人には決してできない。野球は賤技なり。剛勇の気なし。」新渡戸稲造第一高校校長

?「野球の弊害四ヶ条」
一、学生の大切な時間を浪費せしめる。
二、疲労の結果、勉学を怠る
三、慰労会等の名目の下に牛肉屋、西洋料理屋等へ上がって堕落の方向に近づいていく。
四、体育としても野球は不完全なもので、主に右手で球を投げ、右手に力を入れて球を打つが故に右手のみ発達する。
川田府立第一中学校校長

?「対抗試合の如きは勝負に熱中したり、あまり長い時間を費やすなど弊害を伴う」乃木希典学習院院長

?「地方中学(現在の高校)において、校長の人気取りに利用される」広田攻玉社講師

?「手の平への強い玉を受けるため、その振動が脳に伝わって脳の作用を遅鈍にさせる」松見順天中学校長

?「(渡米試合までして)まで野球をやらなければ教育ができぬというのなれば、早稲田・慶應はぶっつぶして政府に請願し、適当なる教育機関を起こしてもらうがいい。早稲田・慶應の野球万能論の如きは、あたかも妓夫や楼主が廃娼論に反対するがごときのもので一顧の価値がない」磯部検三日本医学校幹事

こういった内容であった「野球害毒論」の中には笑える部分あれば、頷ける部分もあります。ただ、これらの論の中に決定的に欠落しているのは、当時の学生達が熱中し観客を魅了した「野球」というゲームが面白いものであり、面白ければ楽しもうじゃないか、という考え方でありました

これらの野球害毒論のキャンペーンを展開した朝日新聞社は、それから4年後に全国中等学校野球大会を開催するにあたって、次のような社説を掲載します。
「攻防の備え整然として、一糸乱れず、腕力脚力の全運動に加うるに、作戦計画に知能を絞り、間一髪の機知を要するとともに、最も慎重なる警戒を要し、而も加うるに協力的努力を養わしむるは、吾人ベースボール競技をもってその最たるものと為す。」
さらにみずから展開した「野球害毒論」を否定するために、試合前にはホームプレートをはさんで礼をするという儀式を導入し、全国大会で優勝したチームにスタンダード大辞典と50円の図書券、準優勝チームに英和中辞典を贈るなどして、野球の教育的意義を強調しました。

「時代に人に愛された野球 ~明治時代を振り返って~」

最後は「野球害毒論」という形で「明治時代の野球」は終わりを告げますが、明治11年に初めて日本に伝わった「野球」というスポーツは人々を魅了し、また情熱を傾けた幾多のプレーヤーによって支えられ続けていたようです。学生が主体となりながらも、アメリカ遠征や海外球団招待試合などを繰り返し、今日の「野球」の発展の基礎を作り上げた大切な時間であったといえるでしょう。だが、「一高野球」に代表されるような猛練習に猛練習を重ねる「武士道的」とも言えるストイックなまでの野球への姿勢や、先に記した朝日新聞社の「野球害毒論」をキャンペーンしたものの、数年後には野球を都合よく利用する姿勢など、今日にまで永遠と続く野球というスポーツを取り巻くメディアの存在も軽視するわけにはいきません。

が、しかし調べてみればみるほど「野球」というスポーツが、驚くほどこの時代の人々に愛され、大切にされてきたことが浮き彫りになりました。みなさんには、どのようにこの「明治時代の野球」が映ったことでしょうか?「今度、ちょいと図書館にでもいって調べてみるか」など思われる方がいらっしゃれば幸いです。


参考図書紹介
「スポーツの伝播・普及」 中村敏雄編 創文企画 
「近代プロスポーツの歴史社会学」 菊幸一著 不昧堂出版
「新体育学体系・明治野球史」 功力靖雄著 逍遥書院 
「スポーツ20世紀・プロ野球」 池田哲夫編 ベースボールマガジン社 
「プロ野球大辞典」 玉木正之著 新潮社

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