また現役選手に目を移してみても、期待以上に結果を残しているとは言い難いところです。第26回ドラフト会議(1990年11月24日)で8球団が競合し、ロッテが指名権を獲得した小池秀郎投手はこれを拒否し、社会人野球を経て第28回ドラフト会議(1992年11月21日)で近鉄に入団、その後中日に移籍し、来季から大阪近鉄に復帰しますが、プロ9年の通算成績は170試合47勝42敗2S、防御率4.26。97年には最多勝を獲得していますが、8球団が競合していたことを思うと物足りなさは否めません。
そして打者ですが、現時点でドラフト1位指名を拒否した打者で代表格となるのが巨人の元木大介選手。第25回ドラフト会議(1989年11月26日)で福岡ダイエーの指名を拒否、翌年、巨人に1位指名で入団しますが、プロ10年の通算成績は928試合で打率2割6分7厘58本塁打291打点。1年間ハワイでトレーニングを続けましたが遅れを取り戻すには時間がかかったようで、7年目にして初めて規定打席に到達したことがそれを表しているかもしれません。
もう1人の打者では中日の福留孝介内野手。第31回ドラフト会議(1995年11月22日)で7球団が競合し、近鉄(現大阪近鉄)が指名権を獲得しますが拒否し、社会人入りへ。第34回ドラフトにて逆指名し中日へ入団します。プロ3年の通算成績は349試合で打率2割6分5厘44本塁打150打点。こちらも若干、伸び悩み気味であることは確かです。
以上がドラフト1位指名を拒否した後にプロ入りした代表的な選手の成績です。多くの選手が回り道をした遅れを取り戻すのが容易ではなかったことがわかります。「鉄は熱いうちにうて」ではありませんが、少しでも早くプロの水に慣れ、試合や練習を重ねる方が上達も早くなるでしょうし、それだけ成績を残す可能性も増すのでしょう。
ドラフトで1位指名を受けるということは、その選手が「旬」であることの裏返し。その旬を自ら放棄した代償は希望球団に入団できたとしても、あまりに大きい気がします。幸い今年の寺原投手は無事に福岡ダイエーに入団することとなり、そういった回り道をしなくてすみました。この決断が決して間違いではなかったことを、これから自らの手で証明してほしいと思います。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。