“神の子”の記念すべき日に生まれた運命
フィオレンティーナで活躍し、再登板したリッピ代表監督の揺るぎないエースとなるか |
2004年の欧州選手権ポルトガル大会の代表メンバー入りは叶わなかったが、U-21欧州選手権で優勝、その夏のアテネオリンピックでは、日本ともグループリーグで対戦し、銅メダル獲得に貢献したことを覚えている日本のファンも多いことだろう。
翌シーズンも23得点を挙げ、プレーオフでもパルマ残留を決定づけるゴールを決め、イタリア代表にも定着したジラルディーノは、「アッズーリのエースとなるであろう」と誰もが期待せずにはいられなかった。
さらに、彼が生まれた1982年7月5日は、奇しくもW杯スペイン大会で“神の子”パオロ・ロッシのハットトリックでイタリアがブラジルに勝利した日である。そのことも相まって、ジラルディーノは2005年夏の移籍市場最大の目玉として注目を集めた。
ACミランでの挫折
2005年7月17日、ジラルディーノはミランへ移籍した。そのシーズンは34試合に出場し17ゴールを挙げたが、はじめて出場したUEFAチャンピオンズ・リーグ(CL)では10試合でゴールネットを揺らすことはできなかった。翌シーズン、彼はイタリア代表としてW杯ドイツ大会優勝を経験、またクラブではCL初ゴールを挙げ、クラブはCLチャンピオンとなるが、ジラルディーノのチーム内での存在感はどんどん薄くなっていった……。地元のメディアですら、彼のコメントを求めなくなるほどだった。
結局、2007-08シーズンは30試合で7得点、そのうちフル出場はわずか12試合とふるわなかったこともあり、ジラルディーノは欧州選手権オーストリア・スイス大会に招集されることはなかった。
そして、ジラルディーノはパルマ時代の監督でもあったチェーザレ・プランデッリ率いるフィオレンティーナに5年契約で加入し、再起を図ることとなった。
かつての同僚とともに再起へ
フィオレンティーナには、監督以外にもムトゥやフレイ、ドナデルなど、パルマ時代のチームメイトも多い。そうした環境も功を奏したのだろう、フィレンツェで迎えた新シーズンは好調のようだ。リーグでは開幕戦でユヴェントス相手にチームを引き分けにもたらすゴールを奪い、5試合で3得点をマーク、現在勢いに乗るラツィオのアルゼンチン出身の若きFWサラテを追随している。CLでも、初戦のリヨン戦で2得点を早くも挙げ、9シーズンぶりにCLの舞台に立つチームをグループリーグ突破に向けて牽引している。
復帰したリッピ代表監督からの信頼も厚く、再びアッズーリのユニフォームにも袖を通しているジラルディーノ。今季はリーグ、CL、そして代表と“神の子”にふさわしいプレーを見せてくれるだろうか。
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