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シェフチェンコ&ネドヴェド、悲願のW杯へ

東欧出身の2人のバロンドール受賞者、ネドヴェドとシェフチェンコ。彼らは幾度もの挑戦の末、ようやくドイツの地で母国の期待を背にW杯の大舞台に登場する……。

執筆者:斉藤 健仁

冷戦時代、ソ連や東欧の旧社会主義国はサッカー強豪国でもあった。しかし、90年代、それぞれの共和国が分離・独立し、それぞれの国の規模が縮小。その結果、東欧諸国が世界の檜舞台に立つことは難しくなっている。

さらに、W杯の欧州予選は、国の数が増えたこともあり、ひょっとしたら本大会よりもハードかも知れない激戦区となった。

この厳しい欧州予選に幾度も挑み、ようやく母国のエンブレムを胸につけてW杯の舞台に立つ2人のバロンドール(欧州最優秀選手)受賞者がいる。

チェコの大砲

ベテラン揃いのチェコ代表の中でも、ネドヴェドはチームの精神的支柱だ(©野辺優子)
「チェコの大砲」と称されるパヴェル・ネドヴェドは1994年代表デビューし、1996年のユーロ準優勝に貢献。その後イタリアに渡り、ラツィオ、ユヴェントスでプレー。2003年にバロンドールを受賞した。

しかし、W杯の欧州予選では組み合わせに恵まれず、フランス大会は予選敗退。日韓大会はプレーオフに駒を進めるが、ベルギーに敗れてW杯出場はかなわなかった。

2004年のユーロ(欧州選手権)でチェコは、ドイツとオランダと同じグループリーグを勝ち抜け決勝トーナメント進出と実力を発揮した。しかし、ネドヴェド自身の負傷もあり、準決勝で姿を消した。その後は所属のユヴェントスで悲願のCL(チャンピオンズリーグ)優勝を目指すことに専念するために、代表引退を表明した。

だが、今大会の欧州予選でエースFWコレルを故障で欠くチェコは苦戦。母国のためにネドヴェドは再び立ち上がった。すると、ネドヴェドが入ったチェコは息を吹き返し、プレーオフで見事にドイツへの切符をもたらしたのだ。

当初はプレーオフのみの復帰という条件だったが、周囲の強い希望もあり、ネドヴェドは盟友カレル・ポボルスキーとともに、最初で最後となるであろうW杯に挑むことになった。

2代目ウクライナの矢

W杯出場を実現したシェフチェンコは母国ウクライナの希望だ。
ウクライナのアンドリー・シェフチェンコは、ディナモ・キエフで活躍し、1999年にACミランに移籍。2003-04シーズンのCLでは、決勝PKを決め、優勝の立役者となり、2004年にバロンドールを受賞した。

しかし、数々の栄誉を手にしながら、代表として大舞台に立つことは果たせなかった。2000年ユーロ、日韓大会は予選プレーオフで敗れ、2004年の欧州選手権も予選敗退……。

そして迎えたドイツ大会では、元祖「ウクライナの矢」と称され、1975年にバロンドールを受賞したブロヒン監督と共にキャプテンとしてチームを牽引。欧州予選では、9試合6得点の活躍で出場一番乗りを決めた。

自身もチェルノブイリ事故で被爆した経験もあり、学校を建設するなど慈善活動に熱心なシェフチェンコが、トライデント(ウクライナ代表のエンブレムである三つ叉の矛)のユニフォームに寄せる思いは計り知れない。

ユヴェントスの不正疑惑の余波で現役引退も噂されるネドヴェド。子供の教育のためにチェルシー移籍を決意したシェフチェンコ。いずれにせよ、彼らが母国の誇りを背負ってピッチに立つ姿を見るチャンスはこれが最後になるだろう。2人の勇姿をしっかりと目に焼き付けておきたい。

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