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“いぶし銀”ラーション、最後のW杯へ

ヘンリク・ラーションにとって、今季のCLの決勝はバルセロナのブラウグラナ(カタルーニャ語で青赤の意)のユニフォームをまとった最後の試合だった。「スウェーデンの英雄」は、W杯後、最高の形で母国へ帰る……。

執筆者:斉藤 健仁

「スウェーデン最高の選手」

2つのアシストでバルサCL制覇の立役者となった
2006年5月17日、パリの郊外スタッド・ドゥ・フランスでチャンピオンズリーグ(CL)の決勝が行われた。前半18分、アーセナルのGK退場により11対10とバルセロナだが、37分にセットプレイから先制を許す。そんな不利な状況を覆したのは、後半21分に登場したFWラーションだった。後半36分から5分間のうちに彼の絶妙なアシストからバルセロナは2点をもぎ取り、逆転に成功。13年ぶり2度目の欧州制覇、チャンピオンズリーグとなってからは初優勝に酔いしれた。

そんなバルセロナ優勝に大きく貢献したヘンリク・ラーションは、西アフリカ出身の父を持ち、スウェーデンのヘルシンボリ生まれだ。17歳でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた彼は、1993年にオランダのフェイエノールトへ、97年からはスコットランドのセルティック・グラスゴーでプレー。2004年にバルセロナに移るまでの7年間で315試合に出場し、242得点(クラブ歴代3位の記録)を挙げた。

2001年にはリーグで35得点をマークし、欧州リーグの最優秀FWに送られる「ゴールデンブーツ」にも輝いた。バルセロナに移籍後CLでセルティックとセルティック・パークで対戦し、ゴールを決めたときには「複雑だ。ここで過ごした素晴らしい日々があるから」と語ったほど。セルティックでの功績により、昨年、在バルセロナのイギリス領事館より勲章が贈られている。

代表では1993年に20歳で代表デビュー、1994年のアメリカW杯に出場し、3位入賞に貢献。ブロンドのドレッドヘアーという独特な風貌を覚えている方も多いことだろう。しかし、1999年に両足骨折という大怪我を負い選手生命の危機に陥ったこともあり、一時代表への招集を拒否。だが、息子の「なぜ代表で試合しないの?」という言葉を受け2000年欧州選手権で復帰した。2002年の日韓W杯では再び攻撃の中心として活躍しベスト16入りを果たした。

2002年のW杯後代表引退を表明し再び離れるが、スウェーデン国民から11万人の代表復帰の署名が集められ、2004年の欧州選手権を前に復帰。ベスト8に大きく貢献。代表としては、MFやウィンガーとしてプレーすることが多かったが、これまでに88試合で34得点を記録し、「過去50年間のスウェーデン最優秀選手」に選出されている。
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