ミステリーとしても楽しめる
古典文学の名作
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神の命を受けて箱舟を作ったノア。そこへ肉食を知る"スカブ"が紛れ込み、動物たちの平和な世界は一変していく。異色の設定で知られる児童文学。 |
狭義のミステリーではないにせよ、ミステリー性の強い物語は古典新訳文庫にいくつも見出せる。
『カラマーゾフの兄弟』は殺人事件をめぐる物語でもあるし、O・ヘンリー
『1ドルの価値/賢者の贈り物』には巧みなストーリーが詰め込まれている。ちなみに後者は(「最後の一葉」「よみがえった快心」「多忙な仲買人のロマンス」などの)洒脱なプロットで知られる著者が、中米を舞台にした渋い作品群を書いていたことの実例としても興味深い。ケネス・ウォーカー
『箱舟の航海日誌』は"ノアの箱舟"を描く児童文学だが、肉食動物"スカブ"によって世界が変質する展開はユニークかつスリリングなものだ。ジャンル小説としてのミステリーに固執しない限り、柔軟に視野を広げさえすれば、古典文学からミステリー的な面白さを得るのはさほど難しいことではないのである。
逆説に満ちた幻想ミステリー
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無政府主義者の組織に潜入した秘密警察官サイムは、逆説と皮肉に満ちた意外な真相を知ることになる。巨匠チェスタトンの長編ミステリー。 |
そんなラインナップに新たに加わったのが、G・K・チェスタトン
『木曜日だった男』である。1974年にロンドンで生まれた著者は、稀代の詩人にしてジャーナリストであり、かの〈ブラウン神父〉シリーズで知られるミステリー作家でもあった。そんな著者が1908年に発表した本書は、曜日の名を持つ男たちの秘密組織をめぐる幻想ミステリーだ。ロンドンに現れた詩人ガブリエル・サイムは、先輩詩人ルシアン・グレゴリーから無政府主義者の集会に誘われる――が、サイムの正体は秘密警察のスパイだった。サイムがヨーロッパ中央会議に潜入すると、会議は7人の委員で構成されており、彼らはそれぞれに曜日の名前で呼ばれていた。「木曜日」となったサイムは組織を壊滅させるために動き出すのだが……。
大胆な逆説に支えられたプロット、分析と警句に満ちたユーモア、独特の幻想味などを備えた本書は、まさしくチェスタトンにしか書き得ない極めて特異な物語と言えるだろう。本作は創元推理文庫
『木曜の男』(吉田健一訳)と古典新訳文庫
『木曜日だった男』(南條竹則訳)が入手可能なので、読者は好きなほうを選ぶこともできる。参考までに第2章の冒頭を引用すると、前者では「辻馬車が、あることのほか寂れていて、きたならしい居酒屋の前に止まると、グレゴリーはさっそくサイムを店の中に案内して、ふたりはそこの薄暗い小さなバーの、足が一本しかないしみだらけの木のテーブルを囲んで腰を降ろした」となっている箇所が、後者では「辻馬車はいとも殺風景で汚ないビール酒場の前に停まり、グレゴリーは連れをさっそくその店の中に案内した。二人は風通しの悪い薄暗い客室に腰を下ろした。一本足の木のテーブルには染みがついていた」となっている。
【関連サイト】
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光文社古典新訳文庫…古典新訳文庫の公式サイト。刊行物リストなどが置かれています。