今出川へ原点回帰する同志社大学

創設者の新島襄の自由人の精神は今もしっかり同志社大学には、残っている。

創設者の新島襄の庶民レベルでの教育を基本とする自由人の精神は今もしっかり同志社大学には残っている

同志社大学は、1785年新島襄が京都寺町に創設した同志社英学校から始まる。1876年旧薩摩藩邸のあった今出川校地へ移転し、1920年には、関西で初めて新制大学として認可された。1986年には、田辺に京田辺校地を開校。1964年から「工場等制限法」により、都市部で広大な校地を確保することが困難になり、かなり関西の都市部から離れた現在の京田辺校地を主とし、今出川校地と併用する体制をとってきた。

しかし、少子化の傾向や経済不況の中で、受験生はより都市部に近い大学を選ぶ傾向がある。首都圏有名私立大学の多くも、首都圏に回帰する傾向を見せているように、同志社大学も2010年に同志社中学が京都市左京区岩倉校地へと移転することを受けて、2013年をめどに、文学部、商学部、経済学部、法学部を1年次(本来は、神、文、法、経済、商、工学の1・2年次生は京田辺校地で学んでいた)から今出川校地へ移転させる。

京都に行って、御所の隣にある同志社大学の今出川校地に足を踏み入れ、感動しないものはいないだろう。煉瓦造りの古い建物、それに合わせて作られた近代的な建築物にも、すべて色や建築様式に統一感を持たせてある。これほど、全体的な様式にこだわっている大学は、関西では同志社大学だけではないだろうか。千年の都京都とその中心的な存在である御所の隣にある素晴らしい環境、歴史を感じさせる建築物、それらが一体となって同志社大学の重みを醸し出している。同志社大学がこれを生かさないはずがないのだと思う。