物語を通して他者に出会える
<DATA>タイトル:『巡礼』出版社:新潮社著者:橋本治価格:1,470円(税込) |
趣味の押し絵を自宅で教えている〈田村さんのお婆ァちゃん〉こと、田村喜久江の女性批評は鋭く、ゴミ屋敷の真向かいの住人で、四十代の吉田美咲が着ているピンクのトレーナーのイタさもリアル。世代の異なる三人の心のなかに閊(つか)えているものを取り出して見せることで、戦後に誕生した専業主婦の在り様が浮かび上がる。
そして第二章以降、ゴミの山のなかから、下山忠市という男の過去が一つひとつ掘り出されていく。金盥や箒などを扱う荒物屋の長男として生まれた〈穏かな戦前の少年〉が、如何にしてひとりぼっちになり、ゴミ屋敷を形成するに至ったか。さまざまなことが起こるが、忠市を最も追いつめるのは、〈誰ともつながらず、誰からも助けられず、ただ独りで無意味の中に足掻く、その苦しさ〉。
何度か読んだのだが、いつも同じところで涙腺がゆるむ。忠市が商業高校に合格したときの家族の会話、初めてゴミを拾う場面、終盤にゴミ屋敷の内部で唯一綺麗な場所があらわになるシーン。自分は忠市とは生まれた時代も育った環境も違いすぎるし、安易に共感することはできない。けれど、彼の話を聴いてみたい、と思ったのだ。
いま世の中で人気がある小説の多くは、読者が登場人物を通して自分を肯定できるものではないだろうか。自己承認欲求を満たす道具としての小説。『巡礼』は、まったく違う。作者も登場人物も読者も異なる考えを持った人間としてとらえている。だから自分を慰撫してはくれないけど、本当の意味で他者に出会わせてくれる。しかも橋本治が人間を見つめる視点は、厳しい神様のようで、優しい怪物のようでもある。特に、忠市の長い〈巡礼〉の終わらせ方は、慈愛に満ちている。流石、〈「人間の孤独」を扱うのは、大昔から「文字の仕事」と決まっている〉(『浮上せよと活字は言う』より)という作家だ。