■人間関係の「名前」で、そこに流れる感情は規定できるものではないことを痛感。二人の女性の間に流れる、名づけえぬ濃密な感情は圧巻!それでいて・・・
不倫、ダブル不倫、三角関係、・・・恋愛という感情が絡んだ人間の関係性も、他の関係性と同様に「名前」を付けることで、おそらくとらえやすくなる。そのこと自体は、悪いことでもいいことでもなく、まあ、言うなれば、便利なことだ。だが、その「名前」にのみとらわれるとそこに流れる感情も、確定されてしまう。「不倫」→愛情、執着、憎しみ、嫉妬、確執・・・という具合だ。
だが、実は、人と人との関係性から生み出される感情は、その関係性の「名前」によって規定されるような単純なものではない。
本作を読むと、そのことを改めてしみじみと、痛切に思い知らされる。「不倫」で裏切りあっているリリと幸夫が抱く感情は、「憎しみ」というような単純なものではないし、リリの恋人・暁のなんといえない渇きも、「年下の恋人の焦り」といったもので片付けられるものではない。何より、表面的には、「妻VS愛人」であるリリと春名の間に流れる感情は、名づけるにはあまりに濃密で複雑だ。二人は、相手の中に自分を見、自分の中に相手を見出し、感応しあっている。ラスト、それぞれの選択をし、それぞれの人生を歩もうとする二人。その関係は、宿命的な悲恋にすら思えるのだ。
この物語には、濃密で、複雑で、一言では表現できない(そういうのを簡単に表現できるなら、小説はいらない!と思う)さまざまな感情が溢れている。だが、著者は、その濃密さや複雑さを多くの言葉を弄して表現しようとはしない。あくまで、登場人物の何気ない行動や言葉のうちにしのばせる。だから、作品世界自体は、とても静謐だ。そう、冒頭に登場する、意外にたくさんの人がいるのに、あくまで静かな夜の公園のように・・・。
通俗的な設定ゆえに著者の「野心」が感じ取れる快作である。
この本を買いたい!
どっぷり感情移入できる人も、しばらくご無沙汰な人も。恋は、文学の亜永遠のテーマ。このジャンルの作品・作家の情報チェックは「恋愛・純文学を読む」で
おなじみ『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞を受賞した著者。この賞は、受賞作は中堅の作家の作品が受賞するケースが多く、受賞者の代表作ともいうべきものが非常に多い文学賞。押さえておくと、文芸の流れが一通り把握できます。ちなみに、NHK朝ドラの原作『火の山 山猿記』(津島祐子)も受賞作。他にはこんな人が。
受賞作チェックは、e-honの「谷崎潤一郎賞受賞作品一覧」で。
受賞作『雪沼とその周辺』は、個人的には、一生忘れらない作品のひとつ。フランス文学者、フランス語教授でもある堀江敏幸さんの情報は、ファンサイト「堀江敏幸教授のレミントン・ポータブル」で。
最新回に『告白』で受賞(同時受賞は、山田詠美『風味絶佳』でした)の町田靖さん。公式サイトには、「Official MachidaKou WebSite」では、ミュージシャンとしての活動についても。
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