第132回芥川賞受賞作。少女性愛がばれて、すべてを失った男の「終わりの始まり」とは?『グランドフィナーレ』・阿部和重(著) ・価格:1470円(税込)この本を買いたい!■祝!芥川賞!日本文学に風穴を開ける異才が、ロリータな性癖によって、すべてを失った男をハードな文体で描く 第132回芥川賞受賞作である。著者は、『無情の世界』などで過去三回芥川賞にノミネートされ、四度目での受賞。授賞式では、彼らしい、ヒネったコメントを述べていたが、個人的には、とても、とても嬉しかった。 デビュー作『アメリカの夜』以来、私の中では、村上春樹の亜流ではない純文学を切り拓く、けっして多くない書き手のひとりとして、大注目のお方。(蛇足だが、彼がデビューした群像新人文学賞は、ダブル村上を輩出した賞です。さらに、蛇足だが、たぶん、阿部さん、意識してるよね、春樹を。)受賞を機会に、もっと、もっと、多くの方が、彼の作品世界に触れてほしいと思う。 さて、本作。映像制作会社で教育映画などに関わっていた37歳の「わたし」。十年来にわたりデジタルカメラで撮り溜めた愛児を含む女児の裸体写真データを妻に見つかり、離婚され、仕事も失う。さらには、DV防止法を盾にとった妻の言い分が通り、8歳になる愛娘とは二度と会えないことに。 故郷である山形県・神町へ帰る「わたし」だが、娘への執着は断ち難く、彼女の誕生日にこっそりと会い、プレゼントを渡す計画をたて、東京へと戻る。だが、その計画もあえなく挫折。おまけに、東京にいたときの仲間である人物に、静かではあるが、決定的な断罪を受け、神町へと戻る。 娘にかつて贈った音声学習付きのぬいぐるみだけを相手に鬱々とした日々を過ごす「わたし」のもとに、ある依頼が舞い込む。それは、子供たちが地域の集まりで上演する劇を指導してほしいというものだった。 そこで私は、劇に異常なほどの熱意で臨もうとしている二人の少女と出会うのだった。彼女たちは、自分たちで、ある民話を演じたいと言う。その民話の内容を聞き、さらには、二人のある行動を目にした「わたし」は、彼女らの熱意の底にあるものを察知するのだった。そして・・・。 この作品に限ったことではないが、文体、言語センスの素晴らしさが、阿部作品の魅力のひとつだ。 本作では、書き手である「わたし」は、正確性や客観性に偏執的ともいえるようなこだわりを感じさせる生硬ともいえるハードな言葉で自身に起こった出来事や心情で語る。 まず、この文体のおかげで、読む者は、「こいつは、自己否定の裏返しとしての自己憐憫にあふれた、ヘタレな純文とは、だいぶ違うぞ」と思わせられるのである。 だが、実は、それ自体が、ミステリーでいうところの、ミス・ディレクションなのである。12次のページへ