■一時的にそこに立ち寄り、やがて去っていく「旅行者」の視点が作品を貫く。だからこそ・・・
この4編がモティーフにしている「沖縄」という場所。その魅力に引かれ、触発されて生まれた物語は、おそらく少なからずあるだろう。沖縄という場所そのものが、多くの人々をひきつける引力のようなものを持っているのは、事実だと思う。だが、この作品集は、必ずしも、その引力に飲み込まれた、ある種の熱情を持って、沖縄を賛美しているわけではけっしてない。
後書きで著者が書くように、収録作「リッスン」の主人公が自ら語るように、あくまで、一時的にそこに立ち寄るに過ぎない「旅行者」(旅を常態とする「旅人」ではなく、あくまで還る場所を持った「旅行者」である)としての視点が貫かれているのだ。
その意味では、沖縄という場所が抱え込んでいるであろう複雑性、ディープな不条理さなどには、まったくというほど、触れられてはいない。
主人公たち、すなわち、著者の目に映る沖縄は、ひたすらに美しく、優しい土地である。そして、彼女たちは、その美しさや優しさが、一時的に立ち寄った者に対してゆえに向けられたものであることを知っている。
収録作「ちんぬくじゅうしい」の中で、軋みを生じはじめた父と母とともに沖縄旅行をし、その旅行がきっかけで母が新興宗教にはまり、沖縄の叔母に預けられた主人公は、その叔母の優しさをこう表現する。
「永遠に続くから優しくあれというのはぜんぜん違う、生きていることの不確実さをしっかりとふまえた切ない優しさ」――
明日には、この場所にはいない。明日には、この人たちとはともにいない。違う場所に帰って、違う人々とともに、日々を暮らし、年を重ねていく。その自覚が、沖縄という「旅行先」での時間を、風景を、出逢った人々を、かけがえのないものにする。この作品集には、そんな切ない「かえがえのなさ」が溢れているのだ。
人の人生そのものが、そんな「かえがえのなさ」の連続であると、言葉にすることは、とても容易い。だけど、それを感じるのは、とても難しい。その「感じ」を、人に伝えるのは、もっともっと難しい。
著者は、その難しいことを、驚くほど平明でなだらかな形で実現できる、本当に稀有なる人なのだ。
『王国』あたりを境に、ばなな作品が、「精神性」や「哲学」といった、あまりに深いところに潜ってしまったような気がしていた(あくまでも、個人的に)のだが、『デッドエンドの思い出』くらいから、彼女独特の即物的な描写も戻ってきているように思う。
そういう意味では、ばななさんの初期作品がお好きな方には、ああ、彼女らしい・・・と思える作品集だろう。
そして、私のように、「多いとは言えない旅行体験のうちの複数回が沖縄」という方にとっても、しみじみあの場所が、懐かしくなる作品集だと思う。
とにもかくも、寒さが沁みる時期、いろんな意味で、あったまります。
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